元ロック少年、今ロック少年のオヤジ、せんらくやです。
先日、息子とロックの話をしていた時、
「○○のグルーブ感がたまらんのよ~」などと熱く語りかけると
息子は「???」状態。
「まあ、最近ロックを聴き始めたようなガキにはわからんか~」
と酒に酔った親父は一蹴したのだが、
よく、考えると、ロックってのは「ガキ」のものだったはず・・・
「おっさんに、ロックがわかってたまるか~」なんて思ってたのに・・・
いつの間に「ロック」は「おっさん」のものになったのだろうか?
そのうち「ロック」は「演歌」のような立場になるのか?
ついでに最近、息子が買っていたロック雑誌「BRRUN」とか「ロッキングオン」には
キッスやモトリーだのガンズだのオアシス、中にはカートコバーンのインタビューまである。
「なんやこれ?20年前の焼き直しか?」とびっくりした。
「カートコバーンって死んどるがな、どうしてインタビューするねん、イタコにでも頼んだか?」
なんて、突っ込みながら。
そしてみんな「おじいさん」になってしまっている(笑)
ポールスタンレーはやっぱりメイクしているので老け具合がわかりにくい。
昔はこういう雑誌で新しいバンド見つけて、CD探して
「新しいかっこいいバンドみつけたで~」とドヤ顔をしていたのな~
クラシック、ジャス、ビートルズ、当時大好きだったバンド
いいものはいつまでも残る、それはわかるな。
当時はみんな新しい音を作ろうと必死になってた。
ロックはビートルズが全部やってしもたから大変やった。
後はいろいろ混ぜたり、リズム変えたり。
それでもレッチリが出てきたときは
ロックとファンクの融合で新しかったし、
ニルバーナとかパールジャムが出てきた時も
ショーアップされた「商業ロック」に飽きてた我々には新しかった。
逆に私なんかが生まれるちょっと前のジミヘンとかも新しく感じたもんだ。
てか、魂が宿ったものは輝いていた。
その後はもうDJやボタン一つで演奏が開始されるサンプリングみたいなやつ。
ここだけは人の音、パクって、ガチャガチャいじって
創作とは呼べるものではないだろうと思っているので
私にはカッコいい(=魂を表すもの)とは思えない。
傍からみたら、それはそれはかっこ悪いやり方だったかもしれへんな~
それでも「熱いもん」ってのはたしかにあったし、それは心地よかった。
「魂を表現していたロック」を通り過ぎて、
今は「魂」そのものがある「自然」や「命」に向き合っているのも
必然なのかもしれへんな~。
その時、その時を不器用やけど全力で生きてきたことだけは恥ずかしくないかな。
まあ、うちのクソガキもかっこ悪いクソオヤジをみて
「あれにはならんようにしよう」と思ってもらえたら
「オヤジの役目」を果たしたことになるだろう。
そして、これからもクソオヤジは好きなようにやる。
北八ヶ岳のマイナーピーク、大岳山頂にて