mixiになんでも検定みたいなのがあって
「神様があなたに言う一言は」ってのがあって試してみたら「見捨てていい?」でした
神様に見捨てられた男、せんらくやです
カミさんにはまだ見捨ててられてません
走ることを始めたのはスロージョグ。
体にいいと聞いたので試してみたかったのがきっかけでした
ちょっとお腹も気になってたしね
めんどくさがりなので続かないだろうと思いながら
まずは携帯のアラームを5分にセットしてそれがなれば帰ってくるというやり方。
結果的には10分間走が始まり。
間が開きながらも時々、走っていた。
そして、一昨年の冬。
所属していたフットサルチームの若手の方に参加を決めた
一部リーグなので体力つけておかなあかんと思い
スタミナ強化とお腹をへこませるのを目的に5km走を始めた。
頑張って走りすぎたのと走り方が悪かったので
スタミナ強化どころか膝を痛めてしまった。
長距離用の走り方をしてなかったのが原因。
膝が治って、ゆっくり走ろうと思って音楽を聴きながら走ってみたりした。
これがなかなか気持ちよかった。
「じゅあ一回、10kmってものを走ってみよう」
そう思い立って走ってみた。
結構しんどかったが妙な達成感を感じてしまった。
ちょっと、長距離の走り方をやってみた。
「おおお、なんか気持ちいいぞ」
そして今度は15kmに距離を伸ばしてみた。
13km付近だったかな?
身体がすごく軽くなって脚がスルスルと前に勝手に出て行く感覚。
めっちゃ気持ちよかった
ここまで来るのに毎日走っていたわけではない。
身体が鈍ってきたなとか
イライラした時や
何かスッキリしない気分の時は走っていた。
走るといろいろ考えていたことがスッキリした。
無心になれた。
達成感があった。・・・
「走る人達の気持ちってこんなのかな」
「走る」ということは「棒高跳び」とかのように特別な技術は必要ない。
右と左の足を交互に出し続ければいいのである。
この動きを最も長く継続させているのがマラソン。
整体的にみても
いかに筋肉のアンバランスを生み出さないようにして
体重移動を継続させるかという運動である。
それがクリアできれば、普通の心肺機能と筋力があれば
優勝は無理でも完走はできるはず。
試してみたくなった
「できることを継続させる。」のがマラソンだ
2011年の目標は『フルマラソンの大会に出てみる』に決めていた。
まずはハーフマラソンに出てみようということで
練習で距離実績のある伊勢志摩ハーフに出てみた。
沿道の応援がとてもうれしかった。
とっても苦しい時もあったけどたくさんの人が応援してくれる。
たくさんの人と一緒に走るのも初めてで
ペースが同じ人、遅い人、速い人。
その時々で一緒に走る人が変化していく。
ゴール直前は本当にしんどかったが
ゴールした直後の達成感はハンパなかった。
大人になってからここまで純粋に達成感を感じたことはなかったと思う。
とても新鮮だった。
実はこの時に走ることにちょっとした「哲学」みたいなものを感じてしまった。
近年のマラソンブームももしかして「世界的な人類の流れみたいな」仮説も思い浮かんだ。
まだ漠然としているので11月6日に大阪の淀川で明確にしてみたい。
まあマラソンブームの仮説は証明できないだろうが
その先にはなにがあるのかな
自分で行ってみるしかない
たのしみだ