なぜ、山に登るのか?



「そこに山があるから」という有名な言葉もありますが

僕はまだそこまではたどり着いていない。



ただ、答えはたくさんあるんです。

僕の中だけでもたくさんあるんです。




今日は一度その答えを出し切ってみたいと思う。



大きな理由の一つに「非日常」ということがあると思う。



ぼくの日常は自宅の整体院で整体をすることです。

出張もやっていないので基本、家から出ることがありません。

整体の仕事は、大好きでこの勉強はもうライフワークです。

死ぬまで止むことはないでしょう。

これはとても素晴らしいことで

僕は本当にいい仕事をさせていただいていると思う。

ただ、家から外に出ないのは厳しい時がある。

「健全な引きこもり」である。



以前は毎週日曜日にフットサルで汗を流していたが

最近はメンバーが揃わないことも増えて、僕はチームから抜けた。

サッカー、フットサルは今でも大好きだし、機会があればいつでもしたい。

ただ、チームをまとめてとかはもうお腹いっぱい。



一人ででも何かできることの一つとしてマラソンを選択した。

初期費用も少ないし、走った後の気持ちよさは格別である。

これはどちらかというと僕の中では「挑戦」の意味合いが強い。

継続してできるのか?フルマラソンってどんなものなのか?

そして走るバランスとかは整体の勉強にも役に立つ。

走っていると無心になれる瞬間は最高に気持ちがいいし、

どこまででも走れる様な気持ちにもなれるのはお手頃で素敵である。




月日が経ちあの震災と宮城でのボランティア。

被災地に何もないことを想定してボランティアの準備をしていた時にふと気がついた。

「これって山登りの用意が揃っていればええやんひらめき電球

そう、山には何もないから衣食住を全て背負っていくのが当然。

「山道具」っていうものは完璧な非常持ち出し袋である。



「山に登る人ってすごいなビックリマークどんなところでも生きていけるやんアップ

そう思っていた矢先に宮城で山男たちと出会う。

鍋でご飯を炊き、何でも塩で炒めて料理する。それがうまい。

そして、いい人たちばかり(それはボランティアに行ってた人というくくりかひらめき電球)であった。




理由はわからないが、もう止まらなくなっていた。

「どこでもいいから行ってみたい!!



宮城から帰ってきてから道具を少しづつ揃え始めた。

財布と相談しながらいい物を買おうと思っていた。

山道具は確かに値が張るものが多い。

しかし手入れをしながら使うと下手すりゃ一生ものもある。

一回辺りの単価を計算すると、登れば登るほど安くなる。

選ぶのは慎重に無駄がないように

今の自分に必要なもの、あったもの。




そして登ってみた。

いっぱい理由が見つかった。




歩くというシンプルな移動手段。

誰のせいでもない、全てが自分の決定で責任。
自分の必要なものだけ、持てる分だけを持つ。

坂がきつい。

暑い。

しんどい。

荷物が重くなってくる。

水がめちゃくちゃおいしい。

おにぎりもめちゃくちゃおいしい。

「水がある」「食べ物がある」などなど、「ある」ということに深い感謝の気持ちを抱く。

空気がとてもきれい。

景色がゆっくり動く、そして、きれい。

ちょっと地形が変わると展望が一気に開けたりする、「わ~」ってなる。

コーヒーもおいしい。

道に迷うともの凄く不安になり自分の小ささを感じて自然の雄大さを感じる。

山で出会う人はなぜかいい人が多い。

自然の造形の一つ一つが奇跡のように見えてきた。

めちゃくちゃしんどいのにめちゃくちゃ充実した。

「なんやこれは?こんなに素晴らしいことやったんか!」



近所の低い山だが思っていた通りのものがそこにはあった。

いいことだけではない。

それもまたいい。

いや、だから、いい。



物質文明にどっぷり浸かって
何不自由なく生活しているのに
不平や不満がたくさんあふれて
心をすり減らして、ストレスをかかえて、自信を失い。
存在価値を見失い、自分で命を絶つような人もいる。
命を絶つ前に一度、山に来ればいいのに。
本当に生きることの素晴らしさを感じられるのに。
とか、考えたりもする。




来年はテント泊デビューする予定なので

また新しい理由を見つけるかもしれないが

今はこんな感じだろうか。




槍ヶ岳が何県にあるかも知らなかったのに

今では槍ヶ岳の地図をみてニヤニヤしている。

そして夢が膨らんでいく。

いつか山小屋で整体とか、おもしろいな~

歩けない人を担いで山頂の景色を見せてあげたりしてみたい。

これは相当きついか(((p(>o<)q))!!!