あの日から4ヶ月が過ぎた。
ここ関西ではすでに昔の話のような雰囲気すら漂っている。
「忘れる」ということは人が前に進むための能力の一つだとも聞くが
そんな簡単にあの日のことを忘れてはいけない。
たまたま県外受け入れ可で一番初めに電話がつながっただけなのだが
活動していく間に顔見知りやメール、ブログでやり取りする人も増えて
ぼくの東北の故郷と勝手に思っている、亘理町。
その亘理町のボランティアが縮小されるそうだ。
避難所もなくなったそうだ。
さみしいけど、これって進んでるってことなんよね
うん、絶対いいこと。
当初、整体師であるぼくが整体ボランティアに取り組もうと思った頃は
少しでも避難されている方を癒すことが、メインテーマだった。
そう、ぼくの特技というか職を活かすこと。
んで、ボランティアに行ったがちょっとしたハプニングで
ガレキ撤去の方のボランティアもさせていただいた。
それも一つ。
でも一番自分が能力を発揮できるところでボランティアを続けたいと考え
現在、福島県の郡山の避難所(滋賀から近いから)での整体を調整中。
それがダメのようならもう一度、亘理で泥かき、ガレキ撤去もありの方向で
あの日のことは忘れてはいけない。
何らかの形で継続して活動したい。

写真提供 十八光堂 松下剛士氏