言うは易し | 泉福寺ごえんさん日記

泉福寺ごえんさん日記

真宗大谷派の寺院こ住職をしております。
何気ないことや、思ったこと感じた事を書いてます。
普段のごえんさんでごじゃります。

唐の時代に有名な

鳥窠(ちょうか)禅師という

僧侶がおりました。

ほんとうの名は道林禅師と

いうのであります。

何故に鳥窠禅師と言うたかというと、

この方は秦望山(しんもうざん)に一生を

お過ごしになりましたが、

この秦望山に大きな古い松の木があって、

それが枝を四方に茂らせています。

そのまがり重る松の枝の上に、

鳥が巣にいるように住んで

いられたので、時の人がよんで

鳥窠禅師といったのであります。


 ある時、この道林禅師の

住んでいられる杭州へ、

政治家としてもまた詩人としても

有名な白楽天が知事となって

赴任して来ました。

白楽天は秦望山の烏窠禅師に

会おうと思ってやってきましたが、

禅師が松の上にいられるので、

 「和尚、危ない危ない。」

といいますと、禅師は言下に、

 「汝の身こそ危ないぞ。」

とやられましたので、

白楽天もすかさず 

「われは大地を踏んでいるから

危ないことはないが、

和尚こそ樹の上だから危ないぞ!」

 すると禅師は

 「煩悩の炎胸中に燃えさかり、

心は変り変って止む時がない。

汝の身、危険でないと

いうことができるか!」と

危険を危険と知らずに人に忠告して一本やられたのである。

禅師は危険を危険として知るが故に、

松樹の上に坐禅工夫に余念がないのである。

そこで白楽天は

 「仏法とは、いったいどのようなものですか?」と

問うと、禅師は

  「諸悪莫作(しょあくまくさ)

   衆善奉行(しょぜんぶぎょう)

   自浄其意(じじょうごい)

   是諸仏教(ぜしょぶっきょう)」


と答えられました。

「どのような悪いことも

してはならない。

できる限り善いことを

するように心がけなさい。

そうすれば心が浄められていく。

これが仏たちの教えられてることだ。

 
これを聞いた白楽天は

 「そんなことか、そんなことなら

三才の童子といえども知っている。」

すると禅師は直ちに

 「三才の童子でさえ知っていることでも、

行うということになれば、八十才の老人と

いえども実践できんのじゃ」と

答えられました。


「善いことをしなさい

悪いことはするな」

当たり前の事ができない。


言うは事は簡単だが

実践は難しい。


道を歩いているとき

ゴミが落ちていれば拾えばいいのですが

それができない。

善いことをしなさいと言ってる人が

ポイ捨てしてたりする。

鯨の命を守れ~と言ってる人が

レストランでステーキを食べてたりする。


言うだけなら簡単。

実践がともなってますか?