助産師☆しのりん 〜お母さんと赤ちゃんを笑顔に〜

助産師☆しのりん 〜お母さんと赤ちゃんを笑顔に〜

助産師☆しのりん

助産師歴25年❤️
お母さんと赤ちゃんから日々たくさんのパワーをもらっています。
そんなお母さんと赤ちゃんにずっと笑顔でいてもらうためのお手伝いをしたいと思っています

Amebaでブログを始めよう!
私は27年間、助産師としてお仕事をさせて頂いていますおねがい

大学病院→市民病院→個人クリニック(入院施設あり)→民間の中規模病院といろんな規模の病院で働く機会に恵まれました病院

それぞれの病院の役割があるのでどこが一番良いとは言いきれません真顔


でも、どんな病院でも共通して言えることがあります

それは、
「入院期間が短いのでやれることが限られる」ということですおーっ!


お産で入院して来られたらまずは「母児ともに無事に分娩を終えることができる」というゴールに向かってお手伝いしますニコ

お産が終わったら
まずは「お母さんの身体の回復」と「赤ちゃんの母体外生活への適応」が優先されますラブ

その後退院までの3~4日間で「育児技術の習得」をして頂くのですが、育児技術と一言でいっても内容は色々あります

赤ちゃんの抱っこ
オムツ交換
授乳(約3時間毎、8~10回/日)
ミルクの作り方と必要量の与えかた
沐浴
退院後の生活(母&赤ちゃん)
24時間母児同室

これだけのことを産後の身体と心が不安定な時期に習得しないといけないのですガーン

そして、病院のスタッフはお母さんと赤ちゃんが退院してから困らないように退院後の生活を見据えて日々のケアと指導業務に励んでいるのですウインク


そりゃあどう考えても無理がありますよね滝汗


お母さんは「帰ってからやっていけるかな…」と不安を抱えながら退院し、スタッフは「もう少し時間(日にち)があればもっとケアできたのに…」とジレンマを抱えながら見送る…もやもや

退院後に電話訪問をしたり2週間健診、1ヶ月健診でフォローしたりはしていますが育児はその後もまだまだ続きますおーっ!


この双方の隙間を埋めることができないかな~

お母さんの「心の安全基地」になりたいな~


そんな想いが沸々と湧いてきていますラブラブ


世の中の人が退職する理由って何だろう??


給与など待遇に不満がある
ハラスメントがあった
職場の人間関係
他にやりたいことができた
プライベートの変化(結婚、妊娠、引っ越し)
もっと条件の良い職場がみつかった
                                                                      etc.…

きっと一つだけではなくて
色んな事情が重なりあっているんだろうな真顔


私は今までに3回退職していますニコ
それぞれに理由はありますが、
一つ共通していたことがありました

それは

私のいる場所ではないと感じた 

ということです


大学病院で働いていた時、
助産師になったばかりで燃えていました炎
自然分娩第一、母児同室・母乳栄養推奨……
(今思うと理想主義で自己満足の塊ですが)

しかし、大学病院という性質上
何らかのリスクを合併している方や
何年も不妊治療をされていた方が多くて
自然分娩や母児同室・母乳栄養よりも
「お母さんと赤ちゃんが無事である」
ということが何よりも優先されるのですぼけー


さらに、医学的な介入が必要になるので
お母さん達にとっては助産師の存在よりも医師の存在が重要なのです(と私が感じた)ショック

そうなると
私の存在意義がわからなくなってきたのです

ちょうど妊娠と結婚に伴って
引っ越しもしたので
表向きの退職理由にできました!!


次に勤めたのは市民病院でした
分娩数が多くて、助産師外来があったり
母乳栄養・母児同室も推奨されていて
助産師として活躍できる場でしたラブ


数年働いた頃、看護部のお偉いさんから
「主任試験を受けてみない?」
と声をかけられましたびっくり

私は出世には全く興味がなかったので
丁重にお断りしました

でも……毎年声をかけられるのです
これは私が有能ということではなくて
看護師の世界の年功序列なのです

何度かお断りしましたが
そのうち断るのが面倒になってきて
主任試験をうけることにしましたえー?


結果、合格したのですが一つ問題が…

産科病棟にはすでに主任がいるので
私の主任としてのポストはないのですポーン

どうなるかというと
違う病棟に主任として配属になるのです


私の配属先は「小児病棟」でした赤ちゃん

そのまま小児病棟で4年
とても良い経験になりました


今後のことを考えた時に
一旦 産科病棟に戻ることができても
また他の病棟に移動になる可能性があるゲッソリ
(実際にそのような方がいました)


私がしたいのは
「お母さんと赤ちゃんのお手伝い」なのです


そんなことを考えていた時に
以前一緒に働いていた医師から
産婦人科のクリニックを開業するから
手伝って欲しいと言われました病院


面白そうなので13年勤めた市民病院を辞めて
開院準備から加わることにしましたニコニコ


9床の小さなクリニックでしたが、
みんなで試行錯誤しながら作っていくのは
とてもやりがいがあり、楽しかったですルンルン


初めは少なかった分娩件数が
徐々に増えていきましたデレデレ

今年で10年目を迎えて
今では人気のクリニックになりましたキラキラ


忙しいけれど充実した日々を送っていました


しかしクリニックには医師が院長しかいません忙しくなれば院長の心身やプライベートへのしわ寄せが大きくなりますショボーン

そして
そのしわ寄せの影響が私達スタッフにも
及んでくるようになりましたガーン


ゴールデンウィークのある日
どうしても許容できない出来事がありましたもやもや


「私のいる(いたい)場所ではない」

この想いがついに溢れてしまいましたアセアセ












クリニックを去ると決めてから今後どうしようかと考える…真顔


働こうと思って本気で探せば見つかるんだろうけど…うーん


助産師になって26年、長期休暇といえば、二人の子どもの産前産後休暇(産休)だけでした!


ちょっとゆっくりしてもいいよね~ウインク


休みの間は何しようかな~デレデレ
やっぱり旅行?   でも、海外は行けないし…


ダイビングにでも行こうかな~イルカ
だったら沖縄がいいな~やしの木ハイビスカス


なんてワクワクしながら考えていたら
昔の夢を思い出したんですキラキラキラキラキラキラ

魚しっぽ 回 魚からだ 想 魚あたま

就職して一年目の冬に「阪神淡路大震災」がありましたチーン


当時勤めていた病院も被災したので分娩数が減り、ヒマになったので有給休暇をたくさんもらうことができましたウインク


でも、休みがあっても遊びに行くところもなく
周りには重苦しい空気が漂っていましたショボーン


仲が良かった同期と
「何か楽しいことしたいな~」と考えてラブ

「ダイビングのライセンスを取ろう」

ということになりましたうお座
幸い時間とお金だけはありましたからね~てへぺろ


講義を受けて、プール実習を経て、串本(和歌山)での海洋実習が終わりライセンスが取れましたチョキ


その時に
「沖縄で働きながら休みの日はダイビングしたいね~ラブラブ

な~んて夢を語っていたんです流れ星


でも、その後すぐに妊娠して結婚…
子どもがいて仕事しているとダイビングに行く余裕もなくてすっかり忘れていましたゲッソリ


叶えるなら今しかない!!
25年来の夢を叶えるぞーーー炎
しかし、永住というところまではちょっと…


そんなことを考えていた時に閃いたのが目

応援ナース

これなら期間限定だし、気に入ったら延長もできるし~ラブ


そうと決まれば病院探しだルンルン
しかし、まだ重大な問題が残っているのだ…


まだ家族に言ってない……




                                                              つづく…