家事・育児タスクがそれなりにある自分としては、奴隷の一人や二人いたらどんなにラクだろうかと妄想してしまうのだけれど(道徳的な観点はまた別の問題として)、本書を読むと、奴隷をもつのもそうそうラクではない、ということがわかる。主人の思い通りに奴隷が働かない、あるいは働いた振りをしたり、農地なら通常の収穫よりも少なめに申告したりすることもままある。奴隷をこき使い過ぎると、悪い噂を流されたりして、本人にとっては得ではない(特に公職に就こうとするなら)。最悪のケースでは、奴隷に殺される例もある。そんななか、奴隷を含めてファミリア(一家)をどう切り盛りするかについて、注意点やノウハウを本書では解説している。
おそらく、経営者や管理職の方なら、部下のマネジメントにも重ねて読まれる方もいるだろうと思う。もちろん部下が奴隷というわけではないが、思い通りに部下が動いてくれないといったことは茶飯事だろうから。
興味深いエピソードはたくさん出てくる。たとえば、同じ出身地ないし同じ部族の奴隷を多く買いすぎてはいけない(p.32)。奴隷たちが示し合わせて手を抜いたり、おしゃべりに夢中になったり、けんかが起きやすくなったり、口裏を合わせて逃亡したりすることがあるからだ、という。これなどは、アルバイトで仲の良い子たちを一緒に雇うとどうなるか、といったケースにも似ている気がする。
また、農神サトゥルヌスの祭が数日間あり、そこでは、奴隷も主人も関係なく、どんちゃん騒ぎするそうだ(p.156-)。祭りのあいだは奴隷は罰せられないので、主人に不平をぶつけたっていい。主人は食堂で奴隷たちに給仕しなければならない。奴隷も、贈り物や賭け事、情事に精を出す。こうしたおおらかさも、ローマらしいと言えるのではないか。
ちなみに、奴隷といっても、とくに家庭内での奴隷の場合(農奴では異なる)、ずっと奴隷のままというのは珍しく、何年か働けば、かなりの確率で解放される例が多かったらしい。解放奴隷で有能な人は、大きな財をきずく人もあったという話は、マンガのヒストリアなどでも登場する。もっとも、解放されたとしても、完全にフリーになるわけではなく、主人を助けることが期待される(同時に主人は奴隷に商売をあっせんしたりする)関係が続くことが通常だったらしい。また、主人の家の墓に奴隷、ないし元奴隷が入ることもあったという話からも、奴隷といっても、ファミリアの一員としての存在感を感じさせる。
奴隷制というと、差別的で非人間的と理解していた。もちろんそうした側面は否定できないと思うが、本書を読むと、古代ローマ人の義理人情的な風情も感じるのは私だけだろうか?また、古代ローマ史が面白いのは、物事には多面的な側面がいくつもあるということを感じさせてくれることではないか、ちょっと大げさかもしれないが。
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