村上春樹さんの『職業としての小説家』。前回1章だけの感想になったので、続きを。
「オリジナリティーについて」という章(第4回)があるのですが、ここもとても興味深い。少し引用します。
・・・自分のオリジナルの文体なり話法なりを見つけ出すには、まず出発点として「自分に何かを加算していく」よりはむしろ、「自分から何かをマイナスしていく」という作業が必要とされるみたいです。・・・必要のないコンテンツをゴミ箱に放り込んで、情報系統をすっきりさせてしまえば、頭の中はもっと自由に行き来できるようになるはずです。
それでは、何がどうしても必要で、何がそれほど必要でないか、あるいはまったく不要であるかを、どのようにして見極めていけばいいのか?
これも自分自身の経験から言いますと、すごく単純な話ですが、「それをしているとき、あなたは楽しい気持ちになれますか?」というのがひとつの基準になるだろうと思います。(p.98)
この本でもいくつかの個所で繰り返し強調されているのですが、村上さんは、書きたいこと、うちからの衝動のようなものを小説にしていると言います。締め切りもつくらず、書きたいものだけを書いて、その後、出版社にもっていくという仕事ぶりは、それ自体独特ですが、ある意味とても自然な営みかもしれません、むかしの農家が天候など見てできた作物をとっていたのと同じように。
あらゆる表現作業の根幹には、常に豊かで自発的な喜びがなくてはなりません。オリジナリティーとはとりもなおさず、そのような自由な心持ちを、その制約を持たない喜びを、多くの人々にできるだけ生のまま伝えたいという自然な欲求、衝動のもたらす結果的なかたちに他ならないのです。(p.101)
ここもいい言葉ですね。俺の書くものにオリジナリティーはあるか?など悶々とするよりは、わくわくすることをとにかく書け、その結果オリジナリティーのあるものにできるかもしれない、と言っているように解釈しました。村上さんのように、登場人物が勝手にしゃべって、物語を進めていく、みたいになるのは至難の業な気はするけれど。
もちろん、オリジナリティーについてはいろいろな考え方があってよいのでしょうけれど、僕は2つのことを思い出しました。
ひとつは将棋の羽生善治さん。たしか、直感力という本だったでしょうか、コンピュータと人間の思考方法はまったく異なるということを書いていました。機械はなるべく多くのパターンを計算して有利な手を導こうとするが、プロ棋士は考えなくてよい手ははじめから排除するという力がすごいということでした。つまり、前者はどんどんパターンを増やす思考法、後者はなるべく減らしていく思考法というわけです。
オリジナリティーという話とは少し違いますが、情報を足していくのではなく、引いていく、あるいは自然と引いたかたちで見えてくる、というのは、その道を極めた達人がたどりつく、ひとつの共通点なのかもしれません。
もうひとつはマンガ家の東村アキコさんの話。先日NHKの番組で浦沢直樹さんと対談していたのですが(両者ともマンガ界の神的な存在ですよね、検索するとネットで出てくると思います)、書きたいストーリーがあってペンが自然に走っていくというふうなことを言ってました。楽しいと。そして、ともかく描いてみないといけないと(このあたりは「かくかくしかじか」を読んだ人はよくわかると思います)。たいへん村上さんの本と共通点があるように思いました。
さて、今日はこれくらいにします。なんかこの本を読むと、書きたい気分になる、力をもっていると思います。
◎前回の記事
(読書ノート)職業としての小説家(1)