99.~1994年10月頃~
1994年の秋になった頃、結婚することを決めた。
時期としては翌年の夏頃に…。
結婚とかって、決まる時は何だか怒涛の勢いで進んでいくものだ。
そういう勢いをきっかけにして決めないと決心がつかないことって、きっと人生の中ではたくさんあるのだろうと思う。
決めるきっかけがあった時には、決めて進んでしまった方が良いと感じる一番大きなものが結婚なんじゃないか…、と思う。
結婚を決めて、その後の生活について悩むことが多くなった。
自分の劇団である「Flare-UP(フレアー・アップ)」の活動は、ずっと続けていきたかった。
これを前提とした上で、生活をしていくための収入を得る仕事としてテーマパークのキャラクター役者をしているわけだが、この生活を続けていて果たして家族を持って生活していくことができるのだろうか…?ということに悩み始めた。
キャラクター役者って、ケガでもしたらどうなるのか…?
役者やってても、食べていけるまで売れるなんて保証はまったくない。
そんなことで悩みを持つようになっていた10月下旬の頃、自分の考えを根底から揺さぶるような出来事が起きた。
自宅アパートで何気なく見ていたTVのワイドショーの中で、そのニュースは流れた。
予備校時代からの友人で、この頃お笑い芸人として活躍し始めていたお笑い集団「大川興業」の「ピグモン勝田」が、営業公演中の事故で重体というニュースだった。
「ピグモン勝田」とは、予備校時代に友達になって、その後自分の人生の転機となる時に何故か必ず再会したり、連絡が来たりしていた大事な友達「かつた」だ。
浜松から東京に戻ることを決心した時にも、突然電話が来て自分の気持ちを後押しした一言があった。
そんな「かつた」が…。
ワイドショーでは、大川総裁が涙ながらに「かつた」の回復を祈るシーンが繰り返し流されていた。
自分としても、何をどうしていいかわからず、ただTVで伝えられる情報を見守るしかなかった。
翌日、「かつた」の死が伝えられた…。
お互いに公演の度に、公演案内のやり取りをしていたのだが、「かつた」は何度も私の芝居を観に来てくれていたのに、私は「かつた」の公演を一度も観に行ったことがなかった。
「かつた」が電話で言った、「お前の芝居を見て、うらやましくなって仕事を辞めたんだ…」という言葉が、何度も何度も蘇って来た。
TVのワイドショーでは、「彼は広告代理店に勤務していたのに、それを突然辞めて芸人の世界に飛び込んだんです…」なんて「かつた」を紹介していた。
この出来事のショックは、本当に大きかった。
「かつた」が送って来た公演案内の最後の手紙には、こう書かれてあった。
「…辛い生活ですが、自分の本当にやりたいことをやっているだけあって、毎日が充実しております。自分の夢を追い続ける姿勢はいつまでも大切にして、少年の心を持った大人でいようと思います。…」
私が舞台の世界に引っ張り込んで、その後私をこの世界に引っ張り戻した「かつた」は、29歳の若さで逝ってしまった…。
夢を追い続ける少年の心のままに…。