日本は今年から安保理非常任理事国。何が出来るのか? | 大放言・毒を吐くブログ アメーバ版

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※問題はそこでどんな実績を残すか?である。

2023年が幕を開けた。本来なら年初の御挨拶をすべきなのであるが、個人的な事情によって今年の御挨拶は遠慮せざるを得なかった事をこの場でお詫びすると共に読者様諸兄には御理解頂けると幸いである。

さて2023年。プーチンのウクライナ侵略は未だに継続中であり、また支那北朝鮮の不穏な動きは相変わらずで、日本を取り巻く安全保障情勢は好転する要素など皆無だと言っても過言ではない。そんな中、日本は今年から安保理非常任理事国。国連加盟国中最多となる12回目の選出、と言う事だが素直に喜んでいる場合ではない。当然それなりの実績を残さなければ意味はないのだが…


※安保理改革は出来るのか?

安保理非常任理事国は任期2年であり、日本は国連加盟国中最多となる12回目の選出となった。それはそれで日本の国連での平和維持への取り組みが評価されている、と言う意味もあると言えばあるのだろうが、現在の世界情勢はそんなに甘いものではない。誰もが知る通りプーチンのウクライナ侵略は継続中であり、解決の見通しすら不透明である。また、北朝鮮は相変わらずミサイルを連発している。そのままジリ貧で自滅してくれるなら苦労はないが、支那やロシアが秘密裏に支援しているからこそ連中はミサイル発射を継続出来ているのだろう。支那やロシアにとって北朝鮮は「自分達の目的から日米の目を反らさせる格好の盾」であり、金正恩の奴が昨年大量にミサイル発射をしたのは日米の目を支那ロシアから反らさせる陽動の意味もあったのだろう。要するにプーチンのウクライナ侵略と金正恩のミサイル発射はリンクしている、と言う事だ。

その支那は支那で周辺国への武力による威圧はもとより、台湾侵略を本格的に検討している、と言われる。連中にとってはプーチンのウクライナ侵略は大義名分は兎も角、「実際に武力行使を先制したらどうなるか?」のこれ以上ないテストケースになる。予想される日米欧の制裁やそれに対する対応のシミュレーションには余念を欠かしていないだろう。また、プーチンがウクライナ侵略を成功させてしまえば習近平の奴は間違いなく台湾侵略に踏み切るだろう。そういう既成事実を作ってしまえば勝ち、と考えており、問題は「ゴールに辿り着く迄に予想される状況に対処出来るのか?」と言う一点に絞られる。勿論日米の方もそういう支那の考えに無為無策ではないだろう。「先の先」の読み合いの様相を既に呈していると言えそうだ。

※安保理での役割は日本だけではないのだが…

そんな中で日本は国連非常任理事国となり、今月は早速議長国としての役割が待っている。支那ロシア北朝鮮と言った世界平和を乱す輩にどう対処するのか?早速手腕が問われる事になる。が、安保理の抱える問題はそのままであり、現状では打開の糸口すら見えてこない。言うまでもなく安保理での決議は法的拘束力があるが、その為には常任理事国全ての賛成が必要だ。支那ロシアが自分達にとって面白くない決議に賛成する期待など最初から持てない。プーチンのウクライナ侵略を安保理で止める事は事実上不可能である。幾ら拒否権行使に説明責任義務を課した所で念頭にある支那ロシアは共に「詭弁を得意とする」様な連中だ。拒否権行使の歯止めになどならず、「ないよりマシ」とさえ言えない程の代物でしかない。安保理改革は必須だが、それさえも支那ロシアが抵抗勢力となって着手する事さえ困難である。そもそも非常任理事国になった所で何が出来るのか?と言うレベルの状況だ。「何もしないよりマシ」かも知れないが、この状況をどうにかしなければ折角非常任理事国に選出された意味がない。長らく外相をしておきながらその経験を活かしているとは到底思えない首相、支那へ媚びるばかりの外相、そんな面子で何をするつもりなのか?


日本に必要なのは「まず自分達の足元を固める」事であろう。安保理非常任理事国として責任を果たす、と言うならそれが出来る政府を作る事から始める必要がある。また、世界平和に貢献出来る体制強化も必須だ。幾ら崇高な理念があっても口だけでは意味がないし、カネだけで貢献、とはならない事は過去に証明済みだ。そうでないと言うならウクライナとロシアに「憲法9条の精神」とやらを説いてこの戦争を止めて見せれば良い。それが成功すればその「憲法9条の精神」とやらの正しさを証明する何よりの証拠となる。それをやるべく行動した話を全く聞かないのだが、憲法9条教信者達は何故行動しないのだろうか?


答えは簡単で「それが無意味」だとそういう主張をしている連中の方が誰よりもそれを理解しているからである。そんな無意味な縛りを残す意味が何処にあるのか?新年を期に我々考えを変えて行動しなくてはならない。邪悪なる者共を排除して人類の正義を貫く為には日本はまず己の変革から始めなくてはならない。そういう事が出来る、若しくはその足掛かりが出来る1年になれば、と思わずにはいられない。