日本の「リベラル」の在り方の間違い | 大放言・毒を吐くブログ アメーバ版

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※国賊野党に投票なんて狂気の沙汰。

文筆家の古谷経衡が

「共産党と組めば政権交代も夢ではない」そうした立憲民主党の発想は根本的に間違っている」

とした文章を書いていた。確かに結論はタイトルの通りだが、この作者の「リベラルに対する考え」には首を傾げたくなる様な部分も散見される。寧ろ、そうした考えが立憲民主党が国民の支持を得られない要因にもなっているのだが、そこを理解しなければ幾ら文章を書いても竜頭蛇尾になってしまうのだが。

※答えは勿論「国賊野党の敗北」。

※これで政権交代が可能?

NHK世論調査によれば国賊野党の支持率全部足しても自民党の支持率の半分にも満たない。

それでも幾つかの選挙区では「野党共闘」と言う形で小選挙区を制する事は可能だろう。それを「数字のマジック」と切り捨てる姿勢はもっともだが、


〈リベラルからのリベラル批判といった言説に、私は幻滅する。〉


と、言った考えは根底から間違っている。だから立憲民主党の支持率は上がらないのだが、その点の理解はなかったのだろうか?


※リベラルは「自分達の間違い」を認めないのが問題。

自民党を「保守」、国賊野党を「リベラル」とするなら問題はリベラルは自分達への批判に不寛容だ。民主党に始まる離合集散を見れば明らかな様に、連中は自分達への批判を認めず、妥協する事を知らない。そういう姿勢を国民は嫌と言う程見ている。また、他者への批判には積極的だが、大抵の場合「自分達へのブーメラン」となるオチが待っている。先の展開を考える力が根本的に欠如しているのと、「自分達が同じ批判をされたら」と言う発想がないから同じ事を何度も繰り返す。出て来る批判は「こじつけ」「マスゴミの後追い」「印象操作」「ブーメラン」「ダブルスタンダード」のいずれかであるケースが大半。そんなザマを幾度となく国民は目にしている。基本的に連中は「批判を受けて反省して路線修正する」と言う事が出来ない。ネットでも簡単に情報を得られる現在、マスゴミの偏向報道だけで世論をコントロールする事は不可能になったのだ。一方、自民党は良くも悪くも野党やマスゴミから何をやっても批判されっ放しである。政権担当政党として批判され続けた事で批判に対する対応は良い意味でも悪い意味でも国賊野党とは比べ物にならないレベルで長けている。自民党には厳しいが、国賊野党に大甘なマスゴミの論調が「野党が育たない」一因になっているのだ。時代の変化に付いていけないマスゴミと野党の存在が日本の重荷になっている。その現実を理解しない所にも野党の支持率が上がらない原因はあるのだろうが。

確かに

「共産党と組んで政権交代が可能と考える立憲民主党の発想は間違い」

「細川政権や民主党政権は『真の意味での政権交代』ではない」

「それらの政権交代も野党の力だけで成し遂げられたものではない」

「野党共闘で勝っても所詮は数字のマジック」

など、頷ける主張も多いが、「リベラルが自己批判するのは間違い」と言うのは間違いだ。もっとも立憲民主党の場合、「政策議論するレベルになっていない」と言う問題点があるので、「そこから始める」必要があるのだが、それはさておき、記事の言う

「戦後日本の政治風土は、そもそもリベラル的価値観になじんでいない」

「戦後日本の政治風土や政治感覚は後進的」

果たしてそうだろうか?新聞の論調は総じてリベラルが多く、政権(≒自民党)批判こそ「マスコミの言う『権力の監視』」と言う風潮で溢れている。日本の場合、日本の風土に合わせた民主主義が定着しており、わざわざ西洋の民主主義を全面的に導入する必要がない、と言うだけの話とは考えないのか?十七条憲法の時点で

「和をもって尊しとなし」

と、トップダウンではなく、話し合いによる政策遂行が規定されていた。

「欧米型の民主主義が唯一絶対」

ではないのだ。

また、リベラルはやたらと保守の言う「日本の伝統的な価値観」を嫌悪し、否定したがるが、その理由を突き詰めると大抵

「そういう考えが先の大戦に繋がり、戦争の悲劇を招いたから」

と言う考えになる。要するに戦後アメリカからもたらされた「民主主義」こそ絶対の正義だと言う訳だ。だが、敗戦を理由にそれまでの考えを全否定し、戦後もたらされた価値観が全て、と言うのは

「間違いだったから負けた」

と言っているに等しく、裏を返せば

「勝った者が正義」

と言う弱肉強食、帝国主義の考え方に沿ったものでしかない。そんな考えを根底に置いて何が「リベラル」なのか?リベラルを称するなら「自分達の道は自分達で決める」つまり日本国憲法の様な「与えられた憲法」ではなく、

「日本の日本による日本の為の憲法」

が必要だとでも言ってみたらどうか?少なくとも欧米の「リベラル」は自分達の道を自分達で切り開いていた筈だが、日本のリベラルだけは「他人の褌で相撲を取る」真似しかしていない。その時点で「リベラル」と呼ぶに値しないのだが。

※リベラルなど無視して日本の為の政策を行わなければならない。

日本のリベラルが惰弱な理由の一つはこの点にある。その意味が判るかどうかが問題であり、判る人には立憲民主党など支持する理由はない。それが「立憲民主党が勝てない」理由なのであり、「在り方からして間違っている」と言うのはそういう意味だ。立憲民主党の存在こそ

「政権交代の最大の阻害要素」

なのである。