「加計学園」の件を審議すべく24、25日に閉会中審査が行われていたが、結局
「安倍首相が友人の加計学園理事長の為に便宜を図った」
決定的な証拠が出された訳ではなく、前回同様、加戸守行前愛媛県知事と前川喜平の証言の食い違いが際立つ展開となった。しかし、質疑の中で前川喜平は
「首相官邸や内閣府から『加計学園』と名指しで指示を受けていない」
事を明らかにし、「加計ありき」と言う主張は根拠を失ってしまった。
前川喜平は和泉洋人首相補佐官が
「首相は自分の口から言えないから、代わって私が言う」
と述べた上で、獣医学部新設の検討を加速させるよう指示したとし、それを根拠に
「加計学園のことだと確信した」
と明言したが、
6月4日の毎日新聞のインタビューで前川喜平は
「スケジュール管理しているスマホを示しながら」
9月5日午前10時25分にアポがあったと証言していた。
それにも関わらず24日午前の証言では
「9月9日午前」
同日の午後には
「9月9日午後」
と、証言がブレまくっている。
…これには理由があって、和泉補佐官は前川喜平が当初会ったと主張した昨年9月5日は
「ラオスに出張中で日本に居なかった」
のである。故に間違いなくこの日に和泉補佐官と前川喜平は「会っていない」のだが、前川喜平は
「スケジュール管理しているスマホを示しながら」
9月5日に和泉補佐官と会ったと証言していたのである。…一体どんな「スケジュール」を管理していたのやら?
それが判ったのか、会った日を「9月9日午前」としたが、この日はその時点で北朝鮮の核実験が行われた為、その情報収集等で「それどころではなかった」事は誰の目からも明白である。それで午後の質疑では
「9月9日午後」
と証言した訳だ。それでも前川喜平の証言を信用できるのか?そうだと言うなら「その根拠」を教えて欲しいものだ。
また、安倍首相が
「加計学園の申請を知ったのは1月20日」
と、答弁した事が「新たな疑念」となっている様だが、実は
と言う事情があっての事だ。…恐らくマスコミの「報道しない自由」の対象になりそうだが。
と、「『加計ありき』の根拠」と言う質問に答えられていない。 …結論から言ってしまえば
「最初からそんなものは『ない』」
のだから「当然と言えば当然」なのだが…
この件、元々が「結果から邪推して得られた『妄想』を根拠にした」「倒閣運動」なのだから、追及する野党側にとって真実など「どうでも良い」のであろう。上記の玉木雄一郎の発言の様に
「加計学園の件に絡めて安倍首相を追及して辞任に追い込む」
事が「唯一の目的」なのだから、「(獣医学部新設で)加計ありき」と言うのは
「加計学園の為に安倍首相が『便宜を図った』」
と言う勝手なストーリーの「根幹」だと言える。ところが国会での参考人の証言で
「安倍首相が『友達を優遇していない」」
事が次々と証言され、「その根拠」すら最早「ないも同然」だが、それでも無意味に
「まだ『追及を続ける』つもり」
なのだろうか?
この件、
「加計ありき」
と言う「色眼鏡」で国民に正常な判断をさせなかったのは野党とマスコミである。加戸氏は
「報道しない自由があるということに関しても有力な手段、印象操作も有力な手段で、そのことは、マスコミ自体が謙虚に受け止めていただくしかない」
と、マスコミの濫用する「報道しない自由」について国会で答弁した。また前川喜平についても
「安倍総理をたたくために、そこまで全国に流れるテレビの画面の取材に応じて、私の取材がもしできていなければ、あのまま生で流れているかもしれないと考えたときに、私は自分の後輩ながら精神構造を疑いました」
と痛烈に批判しているが、「その意味」をマスコミや前川喜平、野党は「重く受け止める」べきだが、
「加計ありき」
「安倍政権打倒」
しか考えられない脳味噌にそれは期待できないだろう。特にマスコミ、
放送法4条は
「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにする」
事を「~よらなければならない」と言う表現で要求している。マスコミが大好きな「報道しない自由」は
「視聴者の『問題に対する見方の角度を狭め、論点を矮小化する』」
結果にしかならない。故に明白にそれらマスコミの「報道しない自由」の行使は
「放送法違反」
だと断定して差し支えないのである。一方で
「放送法は倫理規範」
と言う反論もあるかも知れないが、それならそれで
「放送法が倫理規範ならマスコミはそれすら守れない『倫理なき集団』」
と認める事になる。どういう扱いをされるのが良いかはマスコミが自身で決めれば良い事だが、どっちにしたって「外道」である事には変わりない「軽蔑されるべき」集団でしかない。そんな連中が
「マスコミの役割は『権力の監視』」
なんて言っているのである。噴飯にも程がある。「権力の監視」を看板にするのは勝手だが
「『監視する側が監視される側より腐っている』のでは話にならない」
のだが、連中にはそういう自覚は無いようだ。
やはり放送法を遵守出来ない放送局には「罰則」でそれなり以上の「痛み」を与えなければ判らない、と言う事なのだろう。口で言っても判らない、自分で考え、改善する事も出来ないなら
「身体で判らせる」
しかない、と言う事だ。その意味ではマスコミに対する当たり方は
「動物の調教」
同然にならざるを得ないだろう。実に情けない連中だが、そんな程度の連中が「『報道』と言う『権力』を持つ」事自体が根底から間違っている。加計学園の件で教訓を求めるなら
「マスコミの異常性が改めてクローズアップされた」
事くらいだろう。実に壮大な「時間と経費の無駄遣い」である。