こんにちは、こんばんわ。

 

 

 

気候も徐々に穏やかになり、春の兆しが感じられる時節になりつつありますね桜

 

暖かくなるのは非常に有難いですが、花粉を撒き散らされては元も子もないので、スギ・ヒノキにはまだまだ冬眠してて欲しいものです予防

 

 

 

 

 

そんな春が苦手な僕が本日紹介する本は

 

 

両手にトカレフ

 

 

 

 

 

 

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』の著者が14歳の少女の「世界」を描く、心揺さぶる長編小説。寒い冬の朝、14歳のミアは、短くなった制服のスカートを穿き、図書館の前に立っていた。そこで出合ったのは、カネコフミコの自伝。フミコは「別の世界」を見ることができる稀有な人だったという。本を夢中で読み進めるうち、ミアは同級生の誰よりもフミコが近くに感じられた。一方、学校では自分の重い現実を誰にも話してはいけないと思っていた。けれど、同級生のウィルにラップのリリックを書いてほしいと頼まれたことで、彼女の「世界」は少しずつ変わり始める――。

 

 

 

 

 

僕の大好きな西加奈子さん長濱ねるさんが帯を書かれていたので、それはもう買うしかないだろ、と思い購入しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

主人公は、14歳の少女ミア女の子

 

ミアの父親は小さい頃にいなくなり、母親はドラッグ依存症で男に対してもだらしないところがあります(本の中では男に対して「諦めている」と表現されている)。

 

 

 

 

最近、湊かなえさん「母性」然り、辻村深月さん「傲慢と善良」然り、主人公の母親が変わっているというか、主人公からしたら厄介者になっている設定の小説が多いような気がします無気力

 

 

僕がそういう設定の本を多く読んでいるのか、近年そういう設定の本が多く描かれているのか分かりませんが、、

 

 

こういう話を読む度、僕の親はちゃんと育ててくれてよかったなーと、安堵と感謝の気持ちで胸がいっぱいになります看板持ち

 

 

 

 

 

 

また、この本の見どころというか面白いところは、ラップが登場するところです。

 

 

近年、ヒップホップやラップの人気が再燃していますよね。Creepy Nuts呂布カルマなど著名人が有名になったことやラップバトルがテレビ放送されるようになったことにより、ヒップホップがより身近なエンターテイメントとして扱われるようになった気がします。

 

 

 

余談なんですけども、

僕はそこまでヒップホップに興味はなかったのですが、オールナイトニッポンで星野源さんの楽曲『Pop Virus』feat.MC.waka(若林正恭)としてラップで披露をしたのを聴いたり、若林さんが書いたANN55周年ラップジングルのリリックを聴いたりしたら、少しずつではありますがラップに興味が湧くようになってきましたカラオケ

 

 

 

 

そんなことはさておき、この本では「ラップ」という存在が重要になっています。

 

少しネタバレですが、実はこの本のタイトル両手にトカレフはラップのタイトルなんです。

 

 

 

主人公ミアは、母親も大人も誰も頼れる人がおらず、苦しい日々を生き抜いていますが、このラップのおかげで最終的には

 

 

「私は、私の世界を変えられるのかな」

 

 

と希望を見出すようになります。

 

 

 

ミアの心情が、カネコフミコという人の自伝を読んでいくことで変化していくのですが、それについては非常に複雑で僕の語彙力では到底説明しきれないので、実際に読んでみてミアの感情を汲み取ってください。

 

切なくも、大人に立ち向かうミアに心動かされること間違いなしです悲しい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは最後に、印象に残った文章を紹介して今回のブログを締めたいと思います。

 

 

 

 

「本」と「違う世界」は、繋がっている。

 

この文章は物語序盤、主人公ミアが直感したことです。

 

ミアには誰も頼る人がいません。団地暮らしでまともに生活できるお金もない今の世界とは「違う世界」に行きたいと思うようになります。その「違う世界」に行くためには、たくさん本を読んで大学に行くことが必要であると、周りの人から言われこう直感するのです。

 

 

僕も、読書するようになったのは、文学的な人になって自分の気持ちや感情を上手く人に伝えられるようになりたい、という目標ができたからであり、ある意味僕も本を通じて「違う世界」に向かおうとしているのかもしれない、と親近感が湧きました昇天

 

 

 

自分が子どもであることが、自分では何一つ選べないことが、猛烈に悔しかった。

 

これは、主人公ミアが読んでいるカネコフミコの自伝本の中での文章、つまりカネコフミコの感情描写です。

 

この文を読んで、ミアは

 

「この気持ち、わかる」

 

と共感するわけですが、すごく心が痛くなる表現ですよね悲しい

 

 

みなさんも子供のときに一度はこのように思い、大人を恨んだ経験はあるんじゃないでしょうか。

 

 

 

友だちとつきあうにはこんなにもお金がかかるのだ。だから団地の子は近所の子同士でかたまって行動するのかもしれない。これも階級ってやつが存在する理由なのだろう。

 

主人公ミアの感情描写です。

 

周りの友達はみんな、ケータイのチャットで連絡を取り合っていますが、ミアはケータイの通信料を払うお金がなく、チャットで友達と話せません。ミアはそれに対して、羨ましいと思うのではなく、

 

「友だちとつきあうのにこんなにお金がかかる」

 

と感じるんです。

 

 

今では当たり前のように、LINEやInstagramのDMで友だちと繋がれますが、それがやりたくてもできないミアだからこその感情ですよね。

 

この文は色々と考えさせられました無気力

 

 

 

 

 

お金とか、地位とか、家とか、国とか、人間が作った様々なものが、生身の人間たちを互いから切り離し、対等ではないものにしてしまう。だけど自然には、そこにいる自分たち以外には何もなかった。上もなければ下もない、対等も非対称もない。ただ自由で、寛容で、率直な自然の関係性の中で私の傷はじわじわ癒されていくのだった。

 

これはカネコフミコの感情描写です。

 

今の世界の課題ですよね。自ら対等でなくしてしまった結果、様々な困難を招いているんですよね。

 

この文章については、あまり説明することはありませんが、なぜ自然豊かな場所に行くと心が安らぐのか分かったような気がしますオエー

 

自然は自由で寛容で対等なんですねクローバー

 

 

 

 

 

「ここじゃない世界に行きたいと思っていたのに、世界はまだここで続いている。でも、それは前とは違っている。たぶん世界はここから、私たちがいるこの場所から変わって、こことは違う世界になるのかもしれないね」

 

物語の終盤、主人公ミアが思うことです。

 

 

「こことは違う場所」は結局「この世界」から続いているとミアは考えるようになるわけですが、、、

 

この文章は本を読まないとあまり理解できないと思うので、ぜひ実際に手に取って読んでみてください指差し

 

 

 

 

 

 

 

 

 

てな感じで、14歳の少女が、子どもだけでは何もできない空虚感を抱く描写や、

 

窮屈な世界の中でラップに出会うことで、「ここではない世界」へと走り出す描写が

 

なんとも言えない、切なさ・感動を引き出し、とても心を動かされる本となっているので、

 

ぜひ興味ある方は読んでみてください!

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました!

 

 

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