こんにちは、こんばんわ。

 

 

 

前回のブログで今年最後のはずだったんですが、

一冊本を読み終えることができたので、

年内のうちにもう一個ブログ書くことにしました。

 

 

 

てなことで、これが今年最後のブログになります。

 

 

少しの時間お付き合いください…。お願い

 

 

 

 

 

 

 

今日紹介する本は、

 

 

暇と退屈の倫理学

 

 

 

 

 

暇とは何か。人間はいつから退屈しているのだろうか。
答えに辿り着けない人生の問いと対峙するとき、哲学は大きな助けとなる。著者の導きでスピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガーなど先人たちの叡智を読み解けば、知の樹海で思索する喜びを発見するだろう。
2011年朝日出版社刊『暇と退屈の倫理学』、2015年太田出版刊『暇と退屈の倫理学 増補新版』と現代の消費社会において、気晴らしと退屈が抱える問題点を鋭く指摘したベストセラー、あとがきを加え、待望の文庫化。

 

 

 

 

午前0時の森で、若林さんが紹介していて帯も書いていたので、気になって買っちゃいました。

 

 

 

なんと2022年、東大と京大で第一位の本らしいです、、。

 

これ読んだら頭良くなった気になれそうです。筋肉

 

 

 

 

 

 

いやー、哲学書と書いてあったので、少々お堅い感じなのかなー、と思いきや。

 

 

 

めちゃめちゃ面白いし、興味深い内容でした。。。

 

 

哲学、経済史、人類学、人間学、、、などなど、

 

 

 

幅広い分野の話や知識を用いて、

「暇と退屈」について書かれてあって

ものすごい勉強になりました。

 

 

 

 

「人はなぜ退屈するようになったのか?」

 

 

とか

 

 

「退屈するのは人間だけなのか?」

 

 

とか

 

 

「そもそも退屈とは何なのか?」

 

 

とか、、、

 

 

 

 

確かに動物って暇とか退屈とかあるのかなー、って。

 

 

 

動物ってほら、人間と違って、仕事とか労働とか無いじゃないですか。

 

 

 

時間に追われることなく自然状態、自由気ままに生きてる感じがしますよね。コアラ

 

 

 

 

そういう話についても専門的な知識を使ってわかりやすく説明しているので、

哲学の知識がない、理系の僕でもとっても読みやすかったです。

 

 

 

 

 

 

500ページほどあって、とっても内容もボリューミーなので

いくつか印象に残った文面を紹介していこうと思います。

 

 

 

 

資本主義の全面展開によって、少なくとも先進国の人々は裕福になった。そして暇を得た。だが暇を得た人々は、

その暇をどう使って良いかわからない。何が楽しいのか分からない。

・・・

こうして、暇の中でいかに生きるべきか、退屈とどう向き合うべきかという問いがあらわれる。<暇と退屈の倫理学>が問いたいのはこの問いである。

 

 

これが本書の核ですね。暇と退屈について向き合うことが、どういう意味を持っているか。

ブログでは説明しきれないので、是非読んでこの意味を理解してみてください!

 

 

 

 

 

 

 

自分はいてもいなくてもいいものとしか思えない。何かに打ち込みたい。自分の命を賭けてまでも達成したいと思える重大な使命に身を投じたい。なのに、そんな使命はどこにも見当たらない。だから大義のためなら、命を捧げることすら惜しまない者たちが羨ましい。

・・・

生きているという感覚の欠如、生きているということの意味の不在、何をしても良いが何もすることがないという欠落感、そうしたなかに生きているとき、人は「打ち込む」こと、「没頭する」ことを渇望する。大義のために死ぬとは、この羨望の先にある極限の形態である。<暇と退屈の倫理学>は、この羨望にも答えなければならない。

 

すごい内容ですよね、、。

 

だから、テロリストや過激派組織が存在しているのだ、と。

 

「暇と退屈」が、テロリストや過激派と関連しているなんて。真顔

 

 

 

 

 

 

 

人間の不幸などというものは、どれも人間が部屋にじっとしていられないがために起こる。部屋でじっとしていれば良いのに、そうできない。そのためにわざわざ自分で不幸を招いている

 

これは、パスカルの言葉らしんですが、

賭け事が好きな人なら理解できるんじゃないでしょうか。(笑)

 

 

人間はいつも同じことをしていたら飽きてしまう、何か非日常的な刺激的な、興奮する出来事を欲していると。

 

それで、人間はわざわざ不幸を招いていると。

 

 

自分も暇はとても嫌いで、わざわざ無駄なものを買ったり、何も用がないのに電車賃払って何処か行ってみたり。

 

 

無駄ガネを使っているという面では、不幸を招いているのかもしれませんね。(笑)

 

 

 

 

 

 

 

定住生活では毎日、毎年、同じことが続き、目の前には同じ風景が広がる。そうすると、かつての遊動生活では十分に発揮されていた人間の能力は行き場を失う。もっと色々なことができるはずであるのに、することがない。自分の能力を十分に発揮することができない。まさに退屈である。

・・・

定住は退屈を、人間一人一人が己の人生の中で立ち向かわねばならない相手に仕立て上げたのだ。

 

これが退屈の起源だと、この本では言ってます。

 

 

元々、人類は遊動生活をしてたみたいなんですけど、

食料を貯蔵する技術を得て、そして貯蔵は移動を妨げた。

 

 

 

このようにして定住革命が起きたらしいんですが、まさか文明が発展することで、

「暇と退屈」という難題を生んでしまうとは…。

 

 

 

 

面白いですよね。人類の深い歴史と関係してるなんて。

 

 

このお話はとても勉強になりました。

 

 

 

 

 

 

人間にとっては十八分の一秒が感覚の限界である。ということはつまり、十八分の一秒という瞬間、「最小の時間の器」、それが連なって人間にとっての時間ができている。人間にとっての時間とは何か?それは十八分の一秒の連なりである。

 

 

時間についての話ですね。これも初耳学でした。

 

映画のフィルムとか、一八分の一秒より早くコマ送りしないと、チカチカして見えちゃうそうです。

 

で、これは、動物によって違うみたいで、他の動物が映画を見たらチカチカしてちゃんと見えないかもしれないんですって。

 

 

 

 

 

 

 

 

まだまだ、印象に残る文面はあるんですが、挙げるとキリがないのでこの辺で。。。

 

 

 

 

紹介したように、ほんと様々な学問の知識を学ぶことができるので、すごく頭が良くなった気分になれますよー。

 

 

興味ある方は是非読んでみてください!

最後まで読んでいただきありがとうございました!

 

 

 

ではでは、良いお年を門松門松門松

 

 

 

 

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