風街茶房
大村雅朗

言葉の魔術師

1曲の詞を書くために、言葉を巧みに操り、その時代を象徴する言葉を探した。その言葉は多くの老若男女の心を掴んで離さず、その歌は大ヒットした。

「孤独がつらく感じるとき」
「愛することがよくわからなくなったとき」

いつも、勇気と力を与えてくれた...、作詞家は言葉の魔術師である。

『大村雅朗の軌跡1951-1997(仮)』が発売されるとのこと。聖子ちゃんの歌声が、松本隆さんの詞が、そして大村さんの曲がすぐそこにあるせいか20年も過ぎたなんて思えない。


「メイン・テーマ」「My Revolution」など数々のヒット曲の編曲を手がけたことで知られ、1997年に46歳の若さで他界した作編曲家・大村雅朗さんの功績を、松田聖子、小室哲哉ら著名人たちの証言でひも解く書籍『大村雅朗の軌跡 1951-1997(仮)』(梶田昌史、田渕浩久著、ディスクユニオン)が7月7日に発売される。 


大村さんは1978年、八神純子「みずいろの雨」の編曲を担当したことで知られるようになり、その後は稀代のヒットメーカーとして活躍。

歌とは・・・正方形

作詞家 作曲家 そして歌手 このトライアングルで 歌は 出来ています 。

しかし 実際は ここに 編曲家を 入れた 正方形が 本来の 歌の形だと 言われています 

編曲家とは

例えば、イントロから盛り上がるメロディ さらに 間奏 そして エンディングの印象の残るメロディ これらは 大半 編曲家、 今風に言うと アレンジャーが 作ったものです 。

そんな 日本を 代表する アレンジャーこそ 大村雅朗でした 

彼は編曲が大半だが、一曲だけ作曲して大ヒットした作品があります‼

それが・・・



作曲と編曲を手がけた松田聖子「SWEET MEMORIES」は後世に残る名曲として名高い。


スイートメモリーズ

この歌に 込められた 松田聖子への 思い そして あまりに 若過ぎた46年の生涯とは? 

大村雅朗【おおむら・まさあき】は 昭和26年(1951)5月8日 福岡生まれ 

実家は 染め物店で 雅朗は 次男でした 

福岡のヤマハ合歓音楽学院のバンドディレクター科を卒業 昭和50年(1975)ヤマハ音楽振興会の研究員 第一期生として 活躍 、キーボードとアレンジの勉強をしていました 。


そんな 大村に 初めての編曲の話が来ました 。

昭和53年 八神純子の【みずいろの雨】大村は この歌の イントロ部分に エキゾチックな アレンジをして 発売されると 同時に 大ヒット さらに八神には 【パープルタウン】でも 編曲を 担当 

アレンジャーとして 大作曲家からも 依頼が 来るように なりました 

岸田智史「きみの朝」…ドラマ『愛と喝采と』の挿入歌に起用され、ヒットしました。岸田智史の代表曲です。

ばんばひろふみ「SACHIKO」…ばんばひろふみの代表曲です。ヒットした結果、ばんばひろふみの元に全国のサチコさんからファンレターが来たとか。

大沢誉志幸「その気×××(mistake)」「そして僕は途方に暮れる」…大沢誉志幸の代表曲。「そして僕は途方に暮れる」は多くのアーティストにカバーされています。

海援隊「人として」…ドラマ『3年B組金八先生』の第2シリーズの主題歌に起用されました。「腐ったミカン」のフレーズで有名なシリーズです。

大江千里「格好悪いふられ方」「ありがとう」「Rain」… 大江千里の代表曲を多く手掛けました。ファンの間で名盤と名高い「AVEC」「OLYMPIC」「1234」に収録された全曲の編曲を担当しました。

大村さんが亡くなった後、大村さんに捧げる曲として「碧の蹉跌」という曲を発表しました。

馬飼野康二作曲 河合奈保子「スマイル・フォー・ミー」「Invitation」「エスカレーション」「UNバランス」等… 河合奈保子の代表的なヒット曲を多く手掛けています。


薬師丸ひろ子には【メインテーマ】

そして 昭和57年 佐野元春が 作曲した【サムデイ】 大村は イントロから 哀愁をおびた アレンジを つけ大ヒット

佐野元春「アンジェリーナ」「SOMEDAY」…佐野元春の代表曲として今でも愛されている曲です。

ファンではない層からも知名度が高い曲だと思われます。

さらに 昭和59年 吉川晃司の【モニカ】
吉川晃司「モニカ」「サヨナラは八月のララバイ」「ラ・ヴィアンローズ」「You Gotta Chance ~ダンスで夏を抱きしめて~」等… 初期の吉川晃司を代表するヒット曲の多くを手がけました。

昭和61年には 大御所 筒美京平が 大村に アレンジを依頼 

その曲は 中山美穂の 
【ツイてるね ノッてるね】 大村は 筒美の曲を 生かしながら 大胆な イントロを 作り上げ これまた 大ヒット ここに 大御所達からも 愛される 日本一の アレンジャーに なりました


小室哲哉は大村さんからアレンジのノウハウを得たと言います。「My Revolution」の転調部分直前のコードの使い方は大村さんによるものだそうです。

それによって明るい曲調になり、助けられたとのこと。1990年代以降小室哲哉はプロデューサーとして大活躍しますが、その楽曲の裏には大村さんから得たものが生かされているのかもしれません。

渡辺美里「My Revolution」「Long Night」「Teenage Walk」「BELIEVE」「夏が来た!」等… 

渡辺美里と大村さんは楽曲制作での繋がりが深かったのですが、ある時に意見の食い違いから距離を置き、仲直りできないまま大村さんが亡くなってしまったようです。

渡辺美里が1997年に発表した「ランナー」という楽曲は大村さんに捧げた曲だと言われています。


97年、肺不全のため46歳の若さで死去し、日本ポップス界の損失は計り知れなかった。

松田聖子

松田聖子「青い珊瑚礁」「チェリーブラッサム」「夏の扉」「白いパラソル」「野ばらのエチュード」「SWEET MEMORIES」「時間の国のアリス」「ハートのイヤリング」「天使のウインク」「ボーイの季節」「櫻の園」等… 

松田聖子関連の仕事が最も有名だと思われます。「SWEET MEMORIES」は編曲だけでなく、作曲も担当しました。


「櫻の園」は大村さんの遺作(作曲担当)です。ファン人気の高い名曲です。




 本書では、天才アレンジャーの46年の生涯とその輝かしい功績を後世に残すため、大村さんとともに多くのヒット曲を生み出したディレクター、エンジニア、さらに、大江千里、大沢誉志幸、辛島美登里、くま井ゆう子、小室哲哉、松田聖子、松本隆、八神純子、渡辺美里からのコメントを掲載。


業界誌『オリコン ORIGINAL CONFIDENCE』96年2月26日号に掲載された本人の生前ラストインタビューも盛り込まれる。

 特別付録として、大村さんが携わった1600曲を超す作品リストも掲載される。

本書では、昨年3月に発売された『ニッポンの編曲家 歌謡曲/ニューミュージック時代を支えたアレンジャーたち』の著者・梶田昌史と田渕浩久が、1997年、肺不全のため46歳の若さで死去した天才作編曲家・大村雅朗の軌跡を総括している。


■大村雅朗さんが手がけた代表曲(主に編曲)八神純子「みずいろの雨」「パープルタウン」/山口百恵「謝肉祭」/松田聖子「青い珊瑚礁」「チェリーブラッサム」「夏の扉」「SWEET MEMORIES」/渡辺徹「約束」/吉川晃司「モニカ」/薬師丸ひろ子「メイン・テーマ」/岡田有希子「リトルプリンセス」/大沢誉志幸「そして僕は途方に暮れる」/中山美穂「JINGI・愛してもらいます」「ツイてるね ノッてるね」/渡辺美里「My Revolution」「BELIEVE」/小泉今日子「水のルージュ」ほか

そして
1997年6月29日から

本日は20回目の命日

を迎えます。

おしまい( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆