風街ひとりごと

週末の神戸公演に備えての徳永英明 “ さんを今日から4日間、連載します♪


徳永英明
僕の大事なお友達

桂 小金治さん

昭和中期から映画やテレビドラマ、バラエティ番組に数多く出演し、ことにワイドショーの名司会者として名を馳せた。

2014年 - 11月3日、肺炎のために神奈川県川崎市麻生区の病院にて死去した。88歳没


徳永英明さんは自身のブログ上で「僕の大事なお友達 桂小金治さん」と紹介


桂小金治さんとの
エピソード

手紙を書くのが好きだったという桂小金治さんが、ハワイに行くと18人の友達に手紙を書くのですが、その18人の中に自分が入っているのがとても有りがたいと語っています。



生前、桂小金治さんは歌手の徳永英明氏と
交流があったという。


徳永英明氏も桂小金治さんを「大切な友達」と呼び、自身のブログで紹介するほど仲がよいようだ。



また、妻の良子さんとも仲がよかったようで、小金治夫妻と一緒に食事を楽しんでいるところなんかも披露している。


徳永英明さんのブログでは


藤井フミヤ

そして藤井フミヤ氏も、桂小金治さんを
「東京の父さん」と呼び、生前は慕っていたそうだ。


フミヤ氏は小金治さんの次男と同い年だと
いい、チェッカーズ時代にニューヨークで知り合ったことをきっかけに20年以上の付き合いだったそうだ。



徳永氏もフミヤ氏も小金治さんの自宅に
よく訪れていたらしく、フミヤ氏の子供も
本当のおじいちゃんみたいに慕っていたと
いう。


2人とも自分のこどものように可愛がって
いた小金治さんを思うと人の良さが伺えて
くる。


因みに・・・
初告白

歌手、藤井フミヤ(53)がフジテレビ系「TOKIOカケル」(水曜後11・0)に出演。「藤井フミヤの生まれて初めて聞かれました」と銘打った番組で、フジテレビに今年入社した長男のことや、チェッカーズに入る前に国鉄職員だったことを初告白した。



 フジテレビに今年入社した長男の藤井弘輝アナウンサー(24)の話で、山口達也(44)に「共演はまだですか?」と聞かれると、「ないでしょ。フジの音楽番組はミュージックフェアしかない」と答えた。



「FNS歌謡祭がある」とメンバーから突っ込みが入ると、藤井は「FNS歌謡祭やミュージックフェアで司会になれるわけない」と長男をバッサリ。


 さらに「俺たち両親は、アナウンサーになることを反対したんだよ。面倒くさそうだもん、オレが面倒くさい」と、長男のアナウンサー志望を反対していたことを明かした。


他にも、フジの入社式に出ないことを長男に告げると怒られたことや、父母の社内見学に参加したことを告白。TOKIOのメンバーを含め、爆笑の渦となった。


 続けてリーダーの城島茂(45)に「国鉄(現JR)の職員だったんですか?」と聞かれると、藤井は「デビュー前、1年ちょっとくらいやってたかな」と告白。


鳥栖駅(佐賀)や早岐駅(長崎)で貨車の連結作業などをしていたという。父親が国鉄職員で、周囲も国鉄関係者が多かったため、仕事を選んだということだ。


 当時は彼女(現在の妻)が東京に住んでいて遠距離恋愛をしていたため、国鉄を辞めたという。


「カンテラ持って、冬の誰もいない雪の降るホームで、東京と書かれた電車が赤いテールランプとともに雪の中に消えていく…。あー東京に行きてぇ。(仕事)辞めよう」と思ったのがきっかけだっという。


 藤井は「このまま、ここにいたら俺の人生レールみたいだな。やっぱり東京行こうと思った」と、当時の心境を振り返った。




こんな徳永英明の横顔

①出逢い・ご縁・エピソード
②活動30周年へのメッセージ

谷村新司

①去年、BS日テレの『地球劇場』に徳永君を迎えて丸一日、一緒の時間を過ごしました。

彼の歌をそれぞれフルコーラスで生の歌声で聞きながら、彼の歌の世界にとても感激しました。

彼とのトークセクションでは、何事も“本音“で語ってくれるその人柄に好感が持てました。

彼の生い立ちから音楽に対する姿勢、父としての言葉に共感しながら収録の長い一日を終えました。

今振り返っても楽しかったレイニーブルーのコラボレーションは、番組始まって以来の緊張感と感動がありました。

僕のアドリブに瞬時に反応しながら変化してゆく彼の歌の力に触発され、また熱くなってゆく...セッションの楽しさを存分に味わわせてもらえたことに感謝しています。

番組がオンエアされた後、すぐにメールをくれた彼の人柄、その文面に込められた“感動“にこちらも嬉しくなりました。

少し照れ屋で人見知りな部分も彼の真面目さの表れだと知りました。



②『かつて世に出た楽曲を1曲ずつ心を込めて奉納するように歌いかったんです』と語ってくれた“カバーアルバム“は日本の音楽界に新しい世界を確立させてくれました。

その楽曲に対するリスペクトを大切にカバーされた新しい楽曲は、まるで徳永君の新曲のようでもあり、また懐かしさもある作品に生まれ変わっています。

次はオリジナルをやりたいんです‼と力強く語ってくれていた彼、手術を乗り越えて動き出したツアーが徳永英明の新しい扉を開いてくれると信じています。

30周年おめでとう‼

そして30年間彼を応援し続けている皆さんへ心からのおめでとう‼と、これからも徳永をヨロシク‼ お願いします



玉置浩二

①出逢いがどうと言うよりも、同じ時代を歌い抜いてきた戦友だと思っています。

そんなに会ったりする訳じゃないですけど、何故か解り合っているような・・・

数少ない大切な友でもあります。歌を唄っているんだと思う・・・

たゆまなく、円を描くように、この世界をつつみ込むように。

何かあったら相談、報告をします。

何もないと元気⁉って連絡をいれます。我妻の誕生会に顔を出してくれてパッと2人で歌ったり、外で食事も2回くらいそさたかな。

私のステージも、私に内緒で家族で何気に観に来てくれたりするんです。



②30周年おめでとう‼

お互い歳を重ねてきたけど、徳ちゃんの歌に対する真摯な気持ちは決して変わることのない想い。

使命感にあふれ魂に命を吹き込む、その歌声にどれほどの人達が救われ、感動が生まれてきたことか・・・

80歳になった徳永英明がマイクの前に立っている。それだけで歌っている!

声に出さなくても・・・そんな姿に想いを募らせ胸が熱くなります。
我が友    徳永英明様

敬具

お宝映像





平原綾香


私は徳永英明さんのことを、時々トニーと呼ばせていただいている。

大先輩であり、大尊敬している方であり、困った時は助けてくれるスーパーヒーロー“ トニー “なのである。


因みに、トニーは私のことを“平原“と呼ぶ。だいたいは綾香ちゃん、あやちゃんなとが多く、アーティストの方でこう呼ぶのは、多分、トニーだけ。


体育会系の部活にでも入ったような、なんとも言えない爽やかな気分になる。


徳永さんとは、アレンジャーの坂本昌之さんとのつながりで出会い、今ではメールやLINEのやりとりをさせてもらっている。

私がアルバムをリリースするたび、全曲の感想を送ってくださったり歌に迷った時は必ず相談し、よきアドバイスをいただいている。

鼓 動

楽曲を書き下ろしていただいたことは、私にとって歌人生を変えるような出来事だった。

詞を提供したのは初めてだとトニー。

こんな大切な“初めて“をいただけたのもとても嬉かった。


名曲鼓動

ミャンマーのイベントで初歌唱した時、人々は、息をのむように耳をすませ、私もただひたすらに歌った。


お坊さんも、微笑みながら聴いていらっしゃった。暑い熱いミャンマーの夜に響く、それぞれの高鳴る“ 鼓動 “に一人ひとりが耳をすませているようだった。


名曲というのは国や言葉を超えて、人々の心に届くものなんだ。ある日、トニーからメッセージが来た。

平原、鼓動を歌ってくれて、いまとっても弱い自分に歌を歌ってくれてるようで、あなたの歌に、希望と夢と未来を感じます。心からありがとうございます。

のちに、トニーはこのメッセージを病室で送っていたことがわかった。

一番大変な時に、この曲を書いてくださっていたことがわかり、涙が止まらなかった。

徳永英明さんという、偉大な音楽の神様からいただいたこのメロディと歌詞と、そして、この歌魂を、私は一生大切に歌っていきたい。

②生きる力、愛の力、信じる力を教えてくださり、ありがとうございます‼  トニーの歌こそが、私の、みんなの生きる鼓動です。これからもずっと、トニーの大ファンです♪


平原綾香

平原の父で日本屈指のサックスプレイヤーである平原まことが安全地帯で演奏していたことがあることから、平原の幼少時を知る玉置は「彼女に曲を書く日が来るとは思ってもいなかった…彼女がまだ子どもの頃に抱っこしたことがある…まるで父親のように」としみじみ。





週末の神戸公演コンサートで楽しみにしているのがこの 2曲


壊れかけのRadio

「壊れかけのRadio」は徳永英明10枚目のシングル。徳永英明の代表曲の一つです。きっと、誰もが一度は耳にしたことがある曲だと思います。


そして、自身が出演していたTBS系ドラマ『都会の森』(徳永自身も出演)主題歌。




2006年12月31日の『第57回NHK紅白歌合戦』・2009年12月31日の『第60回NHK紅白歌合戦』で歌唱しています。


様々なアーテストなアーティストにもカバーされています。今回はそんな誰もが知っているこの名曲について紹介します。


徳永英明「壊れかけのRadio」まずは聴いてみましょう!!


 主人公

徳永英明「壊れかけのRadio」(1990年)の主人公は、現在都会に住んでいて、故郷と思春期を思い返している。


曲は、故郷で過ごした思春期のパートと、都会で暮らす現在のパートから成る。


曲の主人公は甘美な想い出に浸り、厳しい現実に引き戻され、その間を何度も行き来する。


「故郷」あるいは「ふるさと」とは、時間と空間の概念が内蔵された言葉である。


「故郷」「ふるさと」は、文字通り、「今いる新しい土地」の対義語であり、時間経過と空間移動を前提とする概念である。


「故郷」を想う人は、自分の生まれ育った土地を離れ、今はその土地にいない人である。


人は「故郷を後にする」のではなく、後にした場所が故郷になる。他方、生まれた土地に終生住み続ける人は、自分のいる場所を「故郷」として懐かしんだりはしない。


曲の主人公である「僕」は、思春期のパートには登場するが、現在のパートには登場しない。


そこで「僕」の代りに登場するのは「人波」である。

曲の主人公は「壊れかけのRadio」に向って、「僕」にではなく、「飾られた行きばのない押し寄せる人波」や「帰れない人波」に「本当の幸せ教えてよ」と懇願する。


「本当の幸せ」を見失いかけているのは「僕」であるにもかかわらず。


「人波」という言葉は、都会暮らしの匿名性に埋没した自分を言い表しているのかもしれない。


あるいは、「僕」と言わないのは、「行きばのない」「帰れない」自分を認めたくないからかもしれない。


そして、思春期のパートの豊穣さに対して、現在の自分自身についてはほとんど何も語られない。


これは、充実していた故郷の暮らしに対して、現在の都会での暮らしの空虚さを示唆しているのかもしれない。


この歌の主人公は、都会で生活しながら、もはや故郷の想い出を生き始めている。


作詞作曲は徳永自身である。完全な創作なのか、彼自身がこのような気持ちを実際に味わったことがあるのか、定かではない。


言うまでもなく、「壊れかけのRadio」とは、「壊れかけの」思春期の想い出、「壊れかけの」夢、「壊れかけの」「僕」の隠喩である。


まだラジオは完全に壊れていない。そこに、ささやかな希望とギリギリの矜持が聴こえる。


90年代までのシングル&オリジナルアルバムには、彼の自作詞&自作曲の素晴らしい名曲が沢山あります。


圧倒的に女性からの絶大な支持を得たのも、その透明感ある澄んだ伸びやかな高音で甘く切なくバラ-ドを歌いあげていたからで当時のコンサートでは、『愛の戦士‼ 徳永英明です』とファンを虜にしていたのです。


しかし93年1月、声帯ポリープの手術をするも以降、彼の代名詞と言われていた高声が出なくなって、声域が狭くなってしまいます。


2001年5月、もやもや病(脳血管障害の一種)で1年半の完全休養。


02年11月、活動再開するも復帰会見の声は弱々しくステージに立つメドもないまま、オリジナル楽曲を制作していく中で音楽に対する考え方に変化が生まれたようです。


「病気をする前は我が為に歌っていたけど、今はより多くの人に聴いて貰いたい。
僕の歌う言葉とメロディがその人のプラスアルファの命になったらいいなと。
そう思って、時代の名曲を歌おうと思った」


「『輝きながら…』が売れてから、売れる為の作品を求められ過ぎた事。


音楽を志したのは、そんなものの為ではないと、僕は「壊れかけのRadio」に僕のメッセージを込めて発表したんだ。


2016年

『VOCALIST』10周年の今年、僕は、これを機に暫く「VOCALIST」からは離れる事を決めた」


往年のファンとしては、既に一般的に「カバーしか歌わない…」というイメージが定着しているから、カバー封印は嬉しいのかも。


長年、喉を酷使してきたから全盛期のような綺麗な歌声ではなくなったけど…、今後はシンガーソングライターとしてオリジナル楽曲を聞かせて欲しいです。


彼のオリジナルを勧めるなら「徳永なら壊れかけのRadioを聴け」って言ってしまうくらい代表曲だと思います。そんな方も多いのではないでしょうか?


「壊れかけのRadio」
誕生秘話

当時、徳永のCDセールスは順調に伸び、全盛期!!

しかし、事務所との人間関係に悩んでいた彼は個人事務所「マゼラン」を設立し、独立しました。


彼はその責任を1人で背負い込み、歌うことすら嫌になってしまったそうです。


そんな様々な葛藤や矛盾の中で生まれたのが「壊れかけのRadio」だったとか。


ある朝、起きると頭の中で詞が出来上がっており、一気に書き上げたらしいです。


実際は7番まであったのが長すぎるので2番までになったそう。


カバー

徳永英明「壊れかけのRadio」をカバーしているアーティスト

彼は現在カバー曲をたくさんリリースしています。

そんな彼の「壊れかけのRadio」をカバーしているアーティストを紹介します。

池上ケイ
「Everlasting Snow」のC/Wに収録されています。

・Water
「water covers」に収録されています。

大山百合香
「Make On The Holiday Presents「COVERS FOR LOVERS ~Yurika Sings J Love Songs~」に収録されています。

河村隆一
アルバム『evergreen anniversary edition』に収録されています。

麗奈
『On/Off seven colors』に収録されています。

松下優也
シングル『Naturally』に収録されています。


そして、この二人も・・・





もう一曲は

僕のそばに

1993/11/1、「僕のそばに」は徳永英明の18目のシングルとしてリリースされました。

前述のとおり、「僕のそばに」は作詞、作曲を徳永英明本人が手掛けた作品です。


昔からの徳永ファンの方々の中では、同じく作詞作曲を手掛けて大ヒットした「壊れかけのRadio」以上に好きだという方もおられるほど、いまだに根強い人気を誇るシングルと言って良いでしょう。


優しい気持ちになれる…徳永英明が「僕のそばに」で綴った歌詞


特に男性ファンの方々から、「この歌を聴くと優しい気持ちになれる」と言わしめているのが「僕のそばに」ですが、それはやはり歌詞によるところが大きいと言えるでしょう!


では、どんなフレーズが綴られているか、改めて確認してみることにしましょう!

もしも悲しいなら僕のそばにおいで

君を抱き寄せるくらいしか出来ないけど

胸の鼓動だけが

時を刻んでゆく

不器用すぎるけど

いつも見つめてる


不器用な男が不器用なりに愛する女性をいたわり、慰めようとしている想いがジ~ンと伝わってきますよね。

この優しくて不器用な歌詞。女性ファンだけでなく、男性の心も掴んだことも頷けます!



おしまい( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆