今日は松本隆さんが、久々の東京入りです♪『第66回芸術選奨文部科学大臣賞』を受賞の為です。3月15日(火)16:00から,都市センターホテル(東京都千代田区平河町2-4-1)において行います。


昨日は娘さんと孫と至福の時を過ごした様ですよ‼

さて始まったばかりの京都散歩、今日はこの人にスポットをあてます♪


風街散歩(明治維新編)

高杉晋作
動かば雷電の如く


魚品楼
高杉晋作寓居跡

【交通】京阪電鉄・祇園四条
【位置】縄手通白川橋上ル東側

高杉晋作が住んでいたという魚品楼の跡。


高杉晋作と言えば、長州を破滅の淵から救った一代の風雲児として知られています。

活躍の舞台は主として江戸や長州藩内ですが、文久年間の一時期に京都に居た事がありました。

その頃の事績として、文久3年3月11日に行われた賀茂行幸の際に、行列に供奉していた将軍家茂公に対して、「いよ、征夷大将軍!」と声を掛けた事は良く知られています。

もっともこれは後世の創作とも言われますが、高杉ならやりかねないと思うのは衆目の一致する所なのでしょう。

その高杉が京都で贔屓していたのが井筒屋の芸妓小梨花と言われます。祇園新橋地区にある立て札に依れば、井筒屋は巽橋の北詰にあったとされ、高杉は人目を憚ることなく小梨花を連れて祇園を闊歩していたと伝わっているそうです。

これもまた、如何にも風雲児らしい景色だと言えましょうか

久坂玄瑞とともに、松陰門下の双璧の英才でしたが、一面天衣無縫ぶりを発揮した豪傑でした。

文久年間、よく上京した晋作は、魚品楼に来ることが多かったそうです。
近年まで「大まさ」という料亭でしたが、現在は建物は取り壊され、面影はありません。


京阪電鉄祇園四条駅を東側に出て、川端通を渡ります。
四条通の2つ目の角(交番のある角)を、北に曲がります。
150mほど行くと、白川に架かる白川橋があるので橋も渡ってさらに北へ。
橋を渡って30mの辺りに、駐車場などが東側(右)にあります。
その付近に魚品楼がありました。


しっとりとしたような場所を寓居としていた高杉晋作は、やはり風流人ですね。



魚品楼は、明治に入って「大まさ」という料亭になってからも高杉さんの部屋は保存されていたそうですが、その後取り壊され現在は残念ながら当時の建物ではなくなっています。というわけでここは跡地です。


当時、魚品楼の玄関には下↓の嵯峨人形の福助さんとお稲荷さんが祀られていて、高杉さんはいつも拍手(かしわで)を打って、神妙な顔で拝んでいたそうです。


それを見た魚品の女将が「小梨花さんのことですか?」と聞くと高杉さんは「攘夷祈願じゃ!」と言って照れたという・・・

白川橋の北側にあったといわれる。
石碑はなく、想像する以外にない。

この座敷で最初に井上聞多や品川弥二郎らの長州藩士に芸妓を引き合わせたのは、晋作であった。

魚品楼は、明治に入って「大まさ」という料亭になる。

その当時は、高杉の部屋は保存されていたが、その後取り壊された。


京都では、8月18日に八月十八日の政変。
翌、【元治元年 1864年】1月に脱藩。

2月に晋作は京に入り、中岡慎太郎とともに島津久光の暗殺を計画されたとされるも、桂小五郎が説得。

2月には帰郷。

6月に池田屋事件を知った後、久坂玄瑞と共に奇兵隊は、京都へ進軍した。

翌7月に、奇兵隊、京都へ到着。

7月19日、蛤御門の変。


蛤御門

奇兵隊は大敗北を喫す。ほぼ壊滅状態で久坂、入江は戦死、高杉は傷心のうちに萩へと帰還した。

幕府の権威は大きく失墜し翌慶応3年(1867年)11月の大政奉還へとつながることとなった。


その後、肺結核を桜山で療養するが慶応3年4月14日(1867年5月17日)に死去。
享年29(満27歳没)。


臨終には父・母・妻と息子がかけつけ、野村望東尼・山県狂介・田中顕助が立ち会ったとされる(だたし田中自身は当日は京にいたと日記に記している)。

墓所は山口県下関市にある。また木戸孝允・大村益次郎らによって東京招魂社(現在の靖国神社)に吉田松陰・久坂玄瑞・坂本龍馬・中岡慎太郎たちと共に祀られた。


霊山護国神社・高杉晋作の墓


幕末の二人の立役者を偲べる場所として祇園白川を訪れてみるのも、一興ではないかと思います。

寛政の三奇人

俗に土下座と呼び違えられ、御所(皇居)を望拝する武士の像が三条大橋東詰に鎮座する。

京都で一番大きい銅像ではないだろうか。その存在は誰もが知る銅像ではあるが、誰なのか、どんな人かと尋ねてゆくと、極端に知る人が少なくなる。


名は高山彦九郎(1747~93年)、江戸時代後期の尊皇思想家で、18歳の時に上野国新田郡(群馬県太田市)の家を出て、各藩を遊歴して勤皇論を説き、幕府の監視を受け、寛政5年享年46歳で久留米にて自刃した。

長州藩松下村塾塾頭吉田松陰(1830 ~59年)はじめ、多くの幕末の志士に影響を与えた人物で、「寛政の三奇人」の一人である。


君尾
君尾(中西きみ)

君尾(きみお)は、祇園花街の芸妓で、幕末当時で祇園一と言われる美貌と竹を割ったような気風の持ち主の人で、そんな君尾は、英気をやしなう志士たちに絶大な人気者でした。


君尾は武士の家に生まれたが、父親が仇敵に殺害され家は没落し、芸妓の世界に入ることを余儀なくされた。彼女はよく、「魚品」というお茶屋のお座敷に出ていた。

当時、京都では幕府勢力と維新派が激しい争いを繰り広げており、両派の人物は京都の色街を隠れ家とし、密談の場とすることがよくあった。維新派の中心的人物の多くは「魚品」の常連客で、後に明治政府で外務大臣と大蔵大臣を歴任する井上馨もその一人である。

井上馨は君尾に一目惚れをして、二人の関係は急速に発展し、離れられない仲になった。程なくして、京都における維新志士の弾圧の責任者であった幕府高官、島田左近も君尾を見初めた。

普通の芸妓からすれば、権勢をふるう島田左近の妻や妾の座に納まることは願ってもない幸運なのだが、君尾は心を動かされることなく、島田の求婚を拒絶する。

島田が君尾に求婚したことを聞き、井上馨は君尾のもとに人を遣って、維新の大局のために島田の求婚を受け入れ、機を窺って幕府の機密を探って欲しいと伝えた。

君尾は涙ながらに、恋人の頼みに応じて島田に嫁ぎ、島田の寵愛に乗じて大量の幕府情報を聞き出した。彼女の助けで、多くの維新志士が幕府の追っ手から逃れることができた。

その後、維新志士は、彼女のもたらす情報によって、島田の暗殺に成功し、維新派の大敵を排除して、幕府勢力に甚大な打撃を与えた。

逸話

一方、祇園一の美貌ときっぷのよさで評判であった君尾には逸話が多い。

新選組の近藤勇に祇園一力の座敷で口説れた時には、「禁裏様のために死んでおくれやすか、天子様のために 尽してくださるお方でなければ いやどす」と、こう言いのける気丈な勤皇派の芸妓であった。

また、恋仲にあった井上聞多(1836~1915年/後の元老井上馨)は、君尾に贈られた鏡を懐に入れていたお陰で、俗論党の襲撃を受けた際にとどめの刃を避けられた話もある。

更に、薩摩の桐野利秋は、幕府方に追われ公卿邸に逃げ込んだとき、居合わせた君尾が浪士を退散させたという話など、君尾は勤皇の志士を救い、多くの手助けをした。


そんな君尾を贔屓にする勤皇派の志士は多く、高杉晋作、久坂玄瑞、桂小五郎、西郷隆盛などは常連であったといわれる。


結局、君尾を射止めたのは品川弥二郎で、祇園の置屋島村屋から身請けして愛妾とし、一子をもうけている。


彦九郎の銅像のある斜め向かいの「だん王(檀王法林寺)」の傍に「超勝寺」という寺がある。


ここに勤王芸者で名高い「中西君尾墓」がある。

戊辰戦争で歌われた「宮さん宮さん お馬の前の ひらひらするのは なんじゃいな」という「とことんやれ節」は、中西君尾が作曲し、長州藩士品川弥二郎(弥二)が作詞をしたといわれている。


新政府での 農商務大臣、内務大臣を歴任した品川弥二郎(1843~1900年)は、長州藩の足軽品川弥市右衛門の長男として生まれ、安政5年(1857年)、松下村塾に入門して吉田松陰から教えを受け、高杉晋作(1839~67年)らと行動を共にして尊王攘夷運動に奔走し、イギリス公使館焼き討ちなどを実行し、薩長同盟に尽くした男である。

一力亭

縄手四条を東へ花見小路の東南角に赤塗りの壁が見える


仮名手本忠臣蔵の大石内蔵助(1659年~1703年)が本懐を隠し遊んだところとして世に知られ、祇園で最も由緒あるお茶屋と名高い「一力」である。


芸妓君尾が近藤勇を袖にしたエピソードのある座敷もここである。

祇園に遊んだのは会津藩士や新撰組、長州藩士ばかりではない。
薩摩藩の西郷隆盛(1828~77年)や大久保利通(1830~78年)も一力の座敷に通っていたのである。大久保の愛妾であった芸妓おゆふ(杉浦勇)が一力の座敷に出ていたため、西郷も連れ添って足繁く会合を持ったといわれている。

後に大久保は妻満寿子との間に四男一女を、愛妾おゆふとの間に四男を儲けている。

君尾は大正7年、75歳まで生きました。

彼女の葬儀には大勢の人が参列し、贈られた献花には山県有朋や総理大臣を出した伊藤家・京都知事だった北垣家の名前も写真からうかがえます。


歴史は、どうしても男性的な目線から解釈されがちですが、このように女性から描いた歴史も、男性の歴史と同じ時間を送ってきたわけで、幕末維新にも、女性が夢見た国があったはずです!

そのような視点から歴史を見つめ直すことも大変面白いと思います。


君尾はいずれNHKの大河ドラマになりうる人物だと思います。この名前を覚えていてください♪


おしまい( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆