月に一度zoom での朗読会をしています。

先生は日本にいて、私たち生徒はチューリッヒの友達同士です。

 

先生が選ぶ作品は、たいてい、私個人の人生の旅に何かしらの答えのような、解説のようなものを運んでくれます。

シンクロニシティーがおこるのです。

 

今回は、宮沢賢治の『虔十公園林』

最後の部分には涙があふれました。

“ 全く全くこの公園林の杉の黒い立派な緑、さわやかな匂い、夏のすずしい陰、月光色の芝生がこれから何千人の人たちに本当のさいわいが何だかを教えるか数えられませんでした。

 そして林は虔十の居た時の通り雨が降ってはすき徹る冷たい雫をみじかい草にポタリポタリと落しお日さまが輝いては新らしい奇麗な空気をさわやかにはき出すのでした。”

 

読んですぐに、なんてすばらしい作品なんだろう!と思い、感激しました。ただ漠然と、宮沢賢治のスピリットに触れたような気にもなり、大げさにいうならば、「宮沢賢治がわかった!!」な感じでした。

 

そもそも、宮沢賢治にはトラウマがありました。

小学生の教科書に『やまなし』という作品がでてきます。

“クラムボンはわらったよ”・・・のやつです。

当時の私は学習能力が低く(私のブログ、教育回想録6にあります)いったいなんのこっちゃ???な話でした。先生の質問に答えられず、答えた内容にクラスのみんなから笑われ、先生にも呆れられ。。。以後、宮沢賢治と聞くと、ブルっときました。

その後、「ビリガール」のように勉強ができるようになり、

宮沢賢治も読めるように(笑)なったけど、やっぱり、なーんだかよくわかんない世界観があるなーって思ってました。

でも、『雨ニモマケズ』は大好きでした。最後の

”日照りのときは涙を流し

寒さの夏はオロオロ歩き 

皆にデクノボーと呼ばれ 

誉められもせず苦にもされず 

そういう者に

私はなりたい”

(これも、涙が出る部分)

 

何年か前に『荒野へ in to the Wild』という本を読み、

主人公の青年が最後に残した言葉

”The Happiness is only real when shared.”

幸福が現実となるのはそれを誰かと分かち合った時だ

これを読んだときにも、涙があふれました。

 

この青年が愛読したのはヘンリー・ソローの本でした、

彼の名言はたくさんありますが、その中で私が好きなものは、

”Man is the artificer of his own happiness.”

人は自分自身の幸せの考案者である。

 

”Life isn’t about finding yourself; it’s about creating yourself. So live the life you imagined.”

人生は、自分を見つけるためにあるのではなく、自分を創造するためにある。だから、思い描く通りの人生を生きなさい。

 

”Thought is the sculptor who can create the person you want to be.”

思考は、あなたがそうありたいと望む人格を作り出す彫刻家である。

 

ソローの本も読みましたが、彼の自然回帰なシンプルな生き方論や、自然の描写などが宮沢賢治と重なりました。

 

作品の最後の部分に涙し、そこに集約された思いのエネルギーみたいなものに触れて、ほんとうの幸せってなんだろ〜???

と考えることになりました。

 

虔十はデクノボーで、宮沢賢治はそういう者になりたかったんだなー、不特定多数の人と分かち合うことができる幸せが本当の幸せなんだと、そんな自分を創造し続けたんだなーと。。。

 

そう言えば、昔、昔、大好きな明石家さんまさんんもCMで、

”しあわせーって なんだーっけ♪ なんだーっけ♪”

と歌ってましたね。

 

身近だけど、深いテーマです。