スイスのなんだかなーの教育システムに、あきらめと、ある意味の希望があったのは、自分の子供時代の経験があるからかもしれないと。
幼稚園のときから、いやそれ以前から、私は不思議ちゃんだったと思う。
私の母が幼稚園の先生に
「○○は幼稚園でどうですか?」と聞いたら、
「○○ちゃんは、変わってますよねー」
と、言ったことをはっきりと覚えている。
小学生3年生?のときに、母と一緒に呼ばれて、
担任と面談があった。
面談が終わって、母に
「どうして今日、先生に呼ばれたの」
と聞いたら、
「あんたがバカだからよ」
と言われた。
なんて、母親なんだろうねー
説明は続いた。
当時、昭和52年ごろ、IQテストと学力テストがあって、
そのIQテストの結果 私のIQは121で、
でも、学力テストは全国でも最低レベルのかなり悪い結果だったというのだ。だから、学習障害、発達障害を疑ったらしい。とのことだった。
学校でどの教科も何をやっているのかさっぱりわからず、
漢字も読めず、計算も遅く、引き算、割り算はかなり苦労した。のは、覚えている。
たしかに、テストに耐えられる学力はなかった。
そのまま、中学生になり、中間、期末テスト、学力テスト、実力テストなどがあり、しかも、中学生は大体の順位が出される。私たちの中学では帯グラフの順位表で、合計点で自分がどのくらいの位置にいるのか見当ができた。
テストを受けるたびに、
「どうして、こんなテストでみんな答えられるんだろう?
みんな、どうしてできるの?」
と、不思議に思っていたぐらいだ。
私は帯グラフ最後の棒、常連5人のうちの一人だった。
370-380人中最後の5人のうちのひとりだった。
こんな私を母は、地区で評判の英語塾に入れていた。この塾に入れば英語はかなりできるようになるらしいと。小学5年生の3学期から始めて、中学3年生まで続けた。
でも、最初は私の英語もさっぱりであった。
クラスにイケメンで成績トップの男子がいて、彼のことが好きだった。(にしては、顔を思い出せないぞ)
ある日、その彼に、突然質問したのだ。
「○○君は、どうしてそんなに勉強できるの?」
今思えば、なんて質問だ!と思うが、彼は、普通に、親切に答えてくれたのだ!!
「塾に行って、家庭教師もいて、参考書で何時間も自分で勉強してるよ」
というのだ。
塾。。。英語で行ってるけど、だめやん。
家庭教師? そんな高そうなやつ、うちは無理やろ?
そ、その、参考書ってなんなん?
家に帰ってすぐに母に、
「参考書ってのが本屋に売ってるんだって、それで勉強するといいと教えてもらった」
母はすぐに私を本屋に連れて行き、五教科(国語、数学、理科、社会、英語)の参考書、その問題集などを一揃え買ってくれた。
なんと、私は自分で参考書を使って、勉強し始めたのである。
しかし! 漢字を読めない、言葉の意味がわからないので、母に聞いていたら、
「辞書があるでしょ!辞書を使いなさい!」
と言われ、参考書を理解するために辞書を使いながら勉強したのであった。
それが、なんと、楽しくて、楽しくて。
生まれて初めて、勉強するということがどういうことなのか、理解したのでした。
英語。
中1の2学期の中間テストだと思う。さっぱりだめな点数だったが、授業中に答え合わせをしていて、問題の一つに英訳があり、
”私は台所にいます” を英訳できなかった。
私=I だよね、
台所に=in the kitchen だよね、
”います”とか、習ってないけど?
なんで、みんな知ってんの?
もう、呆れるほど、すごいおバカさんでした。
が、このときに、答えが、 I am in the kitchen.
と、知った時、稲妻が脳天をうって、一瞬で英語の構造を理解しました。
Am? AM? アム なんだー!!!!!
まるで、ヘレンケラーの、”水”を思い出したことで、物には名前があるとわかった(思い出した)みたいだった。
その後、私の成績はトップの帯の常連になり、
高校受験はほぼ満点で合格、進学校の理系で医学部を目指すことになりました。
という、経緯があるのです。
なので、勉強したい意欲、その楽しさが分かれば、
学校で勉強しなくても、自分で勉強すればいいさ、と、
自分の体験を、娘に重ねて、
自分で勉強すればいいよね、
大事なのは、将来どんな方向に進みたいか、どんな仕事をしたいのか、それからでも、勉強はできるよね、
スイスのやり方は、そうなんだから。
たぶん。。。大丈夫やろ。