読売新聞と朝日新聞を毎朝読み比べていると、読売新聞が「政府のためによく書いてやっている」ことがわかります。
「その読売でさえ」と書くと怒られるかもしれませんが、このところ読売が書き続けて批判しているのが、国土交通省河川局の態度です。
河川局は、私と「長良川河口堰問題」で1988年から闘わざるを得なくなって、1991年には“多自然工法採用”を、1997年には“河川法改正”を実施しました。
“河川法改正”は、「環境重視」と「住民対話」を取り入れるという画期的な視点を持っていましたが、それでも吉野川第十堰改築も川辺川ダムも止(や)めようとしないという態度を河川局は取り続けてきました。
読売新聞が批判しているのはその河川局の態度で、国土交通大臣が諮問し、大臣は自らが諮問した委員会の結論を重視しなければいけないはずの「淀川流域委員会」の出した“脱ダム”(一つのダムも淀川水系では必要ない)の決定を、河川局が勝手にひるがえして“ダムあり”とするのは、「河川法」の趣旨に反しているではないかという、全くまっとうな批判なのです。
「あくまで法律にのっとり」、それゆえ「好き勝手に法律改訂を与党議員たちに命じている」日本の官僚にあるまじき姿だと、読売新聞は言いたいのかもしれないですね。
読売新聞は、私たちと長良川問題では相対峙した、長良川河口堰工事事務所の最後の現場所長であった宮本博司さんが、その後の「淀川流域委員会」では事務局として理想的な運営に導いたが、「上」の指令でか“脱ダム”の結論にもってゆけず、志半ばで官僚を辞したことを報道して、「逆流、岐路の河川行政」の連載を始めました。
2回目の連載では、1997年の河川法改正当時の河川局長であった尾田栄章さんが今は、国土交通省所管の公益法人の機関紙に「行政側に主体的に取り組む気概がなく、形式的なものに同席させられるだけの住民参加は決して愉快なことではない」と書いているのも紹介しています。
宮本さんは、このたび募集されている第2回「淀川流域委員会」に自ら民間人として立候補しているという具合です。
このことを考えると、「この国を本当に変えるためには“政権交代”が必要である」とわかるでしょう?
かつて1997年に河川法を変えた時、当時の亀井静香建設大臣は“お祝い”に12のダム計画を止めました。そこで私はFAXを打電し、「えらいから食事をおごりたい」と彼を誘い、彼も「女におごられるわけにはいかない」と大臣として出てきました。その時彼が言ったことが、「官僚は自ら変われない。それを変えてやるのが政治家だ」という言葉でしたが、彼もまた、今は自民党から出ています。
私は、官僚の中で自ら改革しようとしている人とそうでない人の比率は、49%対51%ぐらいにはなっているのではないかと考えています。そしてそれを逆転させてやるには、“政権交代”しかないと信じています。
菅直人さんがこう言っています。「民主党が政権をとったら、まず官僚の皆さんに辞表を書いてもらう。民主党と一緒に改革をする覚悟があるという人にだけ残ってもらう」と。
私は、河川行政だけでなく、“小泉サン”のアメリカ追従の方針のままに小規模所有者から農地を取り上げようとしている農政や、赤字ゆえにと法律違反に近いことまでして天然林の伐採を続けていると心ある研究者たちから怒(しか)られている林野行政も、「林野庁を林野省にする」くらいの発想の転換をし直して変革するべきと考えています。
そのためには、「自ら変われない官僚」を持つ国民として、この参議選の“一票”で政権交代を目指すべきと思うのです。