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先週の火曜日(10日)に、北九州市で生活保護を打ち切られ、52才の男性のミイラ化した死体が発見された。

この男性は肝臓を患い生活保護を受けていたが、北九州市の担当者から「働く意欲があるなら働いてほしい」と言われ、4月から生活保護を打ち切られた。残された日記の最後のページには「おにぎりが食べたい」。

北九州市では生活保護を打ち切られた人が昨年と一昨年で一人ずつ死んでいる。

生活保護を考える際、北九州市のケースは象徴的だ。

かつて北九州市は生活保護天国と言われた。炭鉱の斜陽と鉄鋼の不況で、生活保護受給者が飛躍的に伸びた。1967年の統計では、生活保護受給者1000人あたり、全国平均は15.2人に対し、北九州市は67.2人。

さすがにこの人数は市の行政を圧迫し、他の自治体からも批判が出たため、一挙に受給者を減らしてゆく。現在、生活保護申請の許可率は30.6%だが、北九州市は15.8%。申請しても全国平均に比べて半分しか受給することができない。

生活保護にはもう一つの変化がある。それは、生活保護を受ける世帯が大きく変わったことだ。

かつて生活保護といえば、一家の大黒柱が病気になるか、母子家庭で育児のため働けない世帯が主流だった。当然、大黒柱が健康になったり、育児に手間がかからなくなったら母子家庭では生活保護の受給をやめる。1980年の統計では、こうした家族の受給率は6割を超えていたが、現在27%になっている。変わって増えているのが高齢の独居老人で全受給者の65%をしめる。10年後には8割を超えるとも言われている。

こうした受給者は、健康になって働きはじめるということはない。つまり、生活保護増加の流れは実質的な年金になりつつある。現在、年金受給世帯は104万世帯150万人。2000年以降に100世帯の大台に乗り、今後も増え続ける。

生活保護の精神は憲法で保障された「健康で文化的な最低限の生活」を保障するものであり、公的補助の基本である。年金同様、社会保障の根幹である以上、この問題を選挙公約であげていない政党は何をしているのであろうか。

立候補者にぜひ聞いて欲しい。