ご訪問いただきありがとうございます。

 

 

 

 

 

たびたび思うのですが、

何か良くないことが起こった時に、

それを規制する、というのは

果たして効果があるのだろうか?と。

 

 

 

 

 

 

 

子ども相手なら、有効な時もあると思うんです。

例えばゲームをやり過ぎるから、

時間を決めてやる、とか

同じものばかり食べるから

1日に何個まで、といったことはわかるんです。

 

 

 

 

 

だけど、世の中は飲酒運転が横行するから、

じゃあその罰則を厳しくします、とか

性犯罪がひどいから、

そういった人たちが社会的に排除する仕組みをつくります、

といった具合に不適合者はとにかく罰せよ、という風潮があります。

 

 

 

 

 

もちろん、これらがまったく必要ない、

ということではありません。

だけど、このように規制を厳しくしたところで、

世の中は良い方向に向かっているのでしょうか?

 

 

 

 

 

前提として、考えておかなければならないのが、

人を認識するにあたって

「性善説」と「性悪説」

この2種類があるということは

確認しておきたいと思います。

 

 

 

 

 

「性善説」は人は生まれながら

良心というものをもっていて、

善い人間になろうと生きるものだ、という考え方です。

 

 

 

 

「性悪説」はその逆で、

人は何も決まりがなければ、

悪いことをしてしまうし、楽なほうに流れてしまう。

だから、ルールなどで厳しくしましょう、

という考え方です。

 

 

 

 

 

 

 

私は個人的には「性善説」よりです。

これは当然ながら、

生まれ育った環境に左右されると思います。

 

 

 

 

 

善い人が多いと思って育ってきたから、

「性善説」よりな考え方を受け入れるのでしょう。

親をはじめ、荒んだ環境で育ってきたら、

きっと「性悪説」を支持していたのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

そんな私だから思うことなんですが、

ルールを厳しくしたところで、

根本的な問題を解決していないと感じるのです。

 

 

 

 

 

殺人罪を厳しい罰にしたところで、

殺人はなくなっていますか?

減りこそすれ、なくなっていないでしょう。

 

 

 

 

 

法律や罰則は人を犯罪に至らしめることを

止める抑止力となり得ないのです。

 

 

 

現在、政治資金について

その規制法に関するニュースが

巷で流れてきています。

 

 

 

 

この考え方からすると、

規制法を改正したところで、

裏金をする人はいなくならないし、

本懐であるはずの国民の暮らしがよくなることはないのです。

 

 

 

 

裏金に関与していた人やその疑いをかけられていた人が、

もし信頼を回復する術があるとすれば、

ルールに定められた罰則で禊を行い、

議員としてではなく、

まずは人として実績を作るところからやり直すのが筋ですよね。

 

 

 

 

 

私は規制法の改正ではなく、

これらの禊についての話がまったくされなくなったことに

違和感・疑問・気持ち悪さを感じました。

 

 

 

 

ではそもそも犯罪に至る人たちは、

どうして罪を犯してしまうのでしょうか?

 

 

 

それは実生活の満たされないものに他なりません。

単なる僻みや妬みにとらわれるレベルではなく、

後戻りできなくなっても構わない、

というくらい差し迫った事情により、人は罪を犯すのだと私は考えます。

 

 

 

 

仕事の人間関係?

家族の人間関係?

金銭的事情?

だいたいこれらのものが解決すれば、

人はわざわざ犯罪に至る必要はないと思います。

 

 

 

 

 

 

犯罪は個人の人間性によって引き起こされるものもありますが、

ほとんどの場合は、これらののっぴきならない事情によるものだと思います。

 

 

 

 

 

だとしたら、人間性においては、

罪を悔い改め、更生することが望ましいでしょう。

しかし、のっぴきならない事情である場合には、

そこまで追い込む何か、に対して手を打たなければ、

いずれまた同じように犯罪は繰り返されるわけです。

 

 

 

 

 

犯罪が起こる社会というのは、

それ自体、もはや限界に来ていて、

大きくシステムを変革するか、解体されなければならない、

とすら私は考えています。

 

 

 

 

誰かが無理をすることによって、

ギリギリ体を保っている社会なんて、

正直なくなったって構わないと思いませんか?

 

 

 

それなら個人が好きに生きていける環境を

それぞれが作るほうがよっぽど幸せな世になるんじゃないでしょうか。

 

 

 

と、ここまで過激と思われましたか?

でもはっきり言ってこれだけは正しいと胸を張れます。

法律や罰則では世の中は良くならない。

 

 

 

 

 

人間関係が辛くなるなら、

辛くならないような仕組みを作るのが

社会の役割だと思いますし、

金銭的にしんどくなる前に、

手を差し伸べるのが社会の役割だと思います。

 

 

 

 

 

犯罪が起きるのであれば、

これらの仕組みは役に立っていない、

もしくは圧倒的に足りていない、

というのが私の認識です。

 

 

 

 

飲酒運転を取り締まりたいなら、

飲んでも運転しなくていいように、

宿泊できるか、家に帰って飲めるような

そういうシステムを作るのが先です。

 

 

 

 

性犯罪を取り締まりたいなら、

犯罪に行く前に欲求を解決できるように

カウンセリングできるシステムを考えるか、

もういっそのことそういう人たちが

気軽にマッチングできるようにできないものでしょうか。

 

 

 

 

私の考えた解決策は

もちろん穴だらけで、

実用に至るには不完全ではあると思いますが、

規制を厳しくしていくということは、

こういったアイデアを出すことの放棄だと感じるのです。

 

 

 

 

裏金議員さんたちは、

どうしたらお金を全く使わなくても選挙で勝てるのか、

一度でいいから考えてみてはいかがでしょうか?

 

 

 

私から見れば、

人望も人間性も、能力も政策のアイデアも足りてないから、

お金で選挙に臨んでいるようにしか見えないんです。

 

 

 

 

 

まずはそれらを磨いて、

人柄で当選するという日本人の潔い姿を見てみたいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本日もここまで読んでいただき

ありがとうございました。

 

 

 

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