ご訪問いただきありがとうございます。

 

 

 

 

 

私たちは日々暮らしていく中で

たくさんのものを選択しながら生きています。

それらを振り返ってみると、

本当にそれは正しい選択だったのか?

疑問を持ちたくなる時だってあります。

 

 

 

 

 

例えば日々仕事に明け暮れていれば、

転職か、現状維持か?

といった選択に迫られながら

選び取ったほうを生きる毎日でしょうし、

 

 

 

 

結婚するか、否か?

子どもを産むか、産まないか?

引っ越すか、今の家に住み続けるか?

休みの日は家にいるか、出かけるか?

今日の食事は何を食べるか?

 

 

 

 

 

そういった選択の中で生きていると、

時に自分は何のために生きているのか?

それら社会的な何かを選択するためだけに

生きていて本当に良いのだろうか?と

私なら疑問に思います。

 

 

 

 

 

私は自分が何のために生きているのか、

疑問に何度も思ってきましたが、今はこう言えます。

 

 

 

 

 

「私は幸せになるために生きているんだ」と。

 

 

 

 

これをご覧になっているあなたも

きっと同じではないでしょうか?

 

 

 

 

 

 

上記の選択の中にあなたを幸せにする選択肢はありましたか?

まったく無関係とは言えないにしろ、

結婚や職業の選択が、

そのまま幸せの形とは限りませんよね。

 

 

 

 

 

では、自分にとって幸せとは何なのか?

「幸せを見つける」ということが

幸せになるためのステップになるわけです。

 

 

 

 

 

大金持ちになる、良い人と結婚する、大きな家にメイド付きで住む・・・

確かにこれらは幸せを後押しするために

必要なピースの一つかもしれません。

 

 

 

 

だけど、例えば大金持ちになるとして、

10億円が手元にあったら

どうやって使いますか?

 

 

 

 

きっとこれを具体的にイメージできる人は、

大金持ちになったら、幸せへと突き進むことができると思います。

 

 

 

 

「貯金」など、使い切るくらいのことが考えられない人は、

きっとそれだけのお金を持っても幸せになることはできないでしょう。

なぜなら、そこにあなたの望むものは存在しないのですから。

 

 

 

 

 

大きなお金を持つことは、そのままリスクでもあります。

寄ってくる人間はほぼすべてお金の匂いにつられてやってきますし、

騙されること、失うこと、税金対策など、

お金をいかに守るか、という心配事が常についてきます。

 

 

 

 

 

もちろん、お金によって解決する幸せの形はたくさんありますし、

避けられる不幸もたくさんあるでしょう。

 

 

 

 

 

ただお金を持つこと、それ自体が「幸せ」とイコールではない、

ということを私は言いたかったわけです。

 

 

 

 

 

結婚も必ずしも幸せとは限りません。

日本では約3組に1組が離婚していると聞きます。

結婚した先に何を幸せの形としてイメージするのか、

それを夫婦で共有できるのか、

ここを突き詰めないと、結婚は幸せへの手段となり得ないでしょう。

 

 

 

 

 

では自分自身の幸せを見つけるにはどうしたらいいのでしょうか?

先ほど、私は生きる理由は「幸せになるためだ」と言いましたが、

逆も然りではないでしょうか。

「〇〇のために生きる」ということ自体が、

そのまま「幸せ」そのものなのではないかと私は思います。

 

 

 

 

これのために自分は生きていくんだ!

と強く思えるものがある、ということが

私は「幸せ」ではないか、と考えたのです。

 

 

 

 

 

そうなると、自分自身の棚卸しをすることになります。

どんな生き方を選んできたのか、

どういう幼少期を送ってきたのか、

何に喜び、何に悲しみ、どんなことを糧に生きてきたのか。

 

 

 

私自身は幼少期に両親が離婚し、

家族というものがどういうものか、

頭では理解しつつも、実感のないまま

大人になってきた経緯がありました。

 

 

 

 

 

だから、今の妻と出会い、

家族と一緒に暮らせるようになったことで、

「家族とは辛い時こそ、しんどい時こそ一緒にいるものだ」

「それを一緒に乗り越えるのが家族だ」

ということを教えてもらったのが衝撃的でした。

 

 

 

 

 

それを知って以来、私にとっての幸せは

「家族と一緒にいること」

ここに尽きる、と確信しました。

 

 

 

自分がどんな状態にあっても、

100%味方でいてくれる、という存在は

ありがたいものです。

 

 

 

 

私にとっては幼い頃の原風景の中で

常に不足していたけれど、

何が不足していたのかぼんやりしていました。

 

 

 

 

 

それを埋めてくれる存在がいたことで、

私は幸せになることが

どういうことなのか、はっきりわかるようになったのです。

 

 

 

 

 

この幼少期の不足はさまざまで、

例えば家でTVゲームができなかったことが

いつも不満だった人からすれば、

いつでもゲームができることが幸せになるかもしれません;

 

 

 

 

どうしても読みたかったのに、

読めなかったマンガを大人になってから

大人買いして読むこと、

これも幸せの形になり得ると思います。

 

 

 

 

でも、心を満たしてくれるものというのは、

何も新しく購入するなど、

お金をかけなければならない、

ということではないと私は考えています。

 

 

 

 

たぶん幸せのピースは

すぐ手元に届くところに転がっていて、

それに気づくことが

大事なんだと思います。

 

 

 

 

そのための自分の棚卸しで、

自分が歩んできた道の中に、

ちゃんと幸せをめざしてきた何かがあるはずです。

 

 

 

 

それは言い替えると、

私たちは常に幸せになるための選択をし続けて

今日まで生きてきた、

ということです。

 

 

 

 

 

 

本日もここまで読んでいただき

ありがとうございました。

 

 

 

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