ご訪問いただきありがとうございます。

 

 

 

 

先日Twitterを眺めていると、

次のような投稿がありました。

テレビでもご活躍中の成田 悠輔さんによるツイートです。

 

 

 

 

‟0→1の重要性はまぁいいんだけど、同じくらい大事なのが1→0。

 ない方がいいものが多すぎる。クソリプ、クソ書類、クソ手続き、クソ会議。

 価値ある1の創造と同じくらい、有害な1の根絶が評価される世の中になってほしい。

 誰かワントゥゼロという名著を書いてほしい”

                     成田 悠輔@narita_yusuke

 

 

 

 

というツイートに乗っかって、

本日は「ワン・トゥ・ゼロ」されるべきもの、

どうやったらゼロにできるのか、

という暴論にお付き合いいただこうと思います。

 

 

 

 

 

私にはこんな経験があります。

小学校教諭だった頃の話です。

 

 

 

 

 

 

学校教職員には月1回の職員会議があります。

これはどの学校にも恒例の行事で、

全ての物事はこの職員会議の承認を得て

はじめて動き出す、という仕組みになっています。

 

 

 

 

 

ところがこの職員会議というイベントは難儀なもので、

そもそも子どもたちが下校する時刻が午後3時半ごろ、

残っている子どもたちがいなくなってからスタートしても、

午後4時に始まればいいほうで、

勤務時間終了の午後5時までたった1時間足らずしかありません。

 

 

 

 

 

この短い時間の中で、承認を通さなければいけない案件を

ひたすら「無言の承認」で通していくのが暗黙の了解で、

議論などもってのほか、という空気感すらあります。

 

 

 

 

 

ならば、議論の必要がないように

予め各部会からの提案は、他の部会のメンバーに

根回しをしていればまだいいのですが、

ご存知の通り、そんなに教職員も暇ではありません。

 

 

 

 

 

最も効率的な職員会議の形が、昨年と同じ通りの資料を

その年度に合わせて少し手直ししたものを読み上げる、

というものが多いのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

で、当時若手とまだ呼ばれていたからか、根回しもないものだから、

そんな職員会議中に

どうしても納得のいかない内容に反論を持ちかけたのが私です。

 

 

 

 

 

 

まぁご想像の通り、ベテランの先生方が

「何生意気ぬかしやがる!」ばりの目で私の方を見てきますよね。

だったら、職員会議をちゃんと時間を割いて、

議論できるものにしたらいいのに、って思いました。

 

 

 

 

 

 

いや、そもそも承認するだけの職員会議なんて

わざわざ時間とってやる必要あります?

回覧板みたいに回して承認印もらったらよくないですか?

 

 

 

 

 

 

 

って思った経験があっただけに、

ついこのツイートで職員会議のことを思い出してしまいましたよ。

 

 

 

 

 

 

 

他にもこれ根絶できないのかなぁ、

って考えたら事務手続き、ですよね。

 

 

 

 

 

 

あれ、全部機械化できるはずなんですよ。

スマホ1つで全ての手続きを

完了できる仕組みにしようと思えばできるはずなんです。

 

 

 

 

いつも思うんですよ。

違う部署に行って手続きをしないといけないことって、

待ち時間も長くなるし、同じこと何度も説明しないといけないし・・・

 

 

 

 

 

まぁシステム化するとなると、公務員をぐっと削減できますよね。

お役所の仕事の半分以上は、

機械がやってくれるわけですから、

役所仕事のほとんどは要らなくなります。

 

 

 

 

 

だったら極端に言えば、

税金安くできるわけじゃないですか。

負担が少なくなって、みんな喜びますよ。

でも、そうしないのって、

なんかワザとなのかなぁって思っちゃいます。

 

 

 

 

 

ところで公務員の大半のクビを切る、

すると大量の失業者が出ることを心配する人がいらっしゃるでしょうが、

そもそも私たちってどうしても労働する必要があるのでしょうか?

生活のためだけに働いている人は

結構大きな割合になるのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

こういう人たちはそもそも生産性が低いです。

だから、労働させるのはコストパフォーマンスが非常に悪くなります。

実際日本の生産性は諸外国と比べて低いというデータが出ています。

(詳細は調べたらいっぱい出てくるので割愛しますが)

 

 

 

 

 

もし、どうしても憲法の義務に従って

勤労させたいのであれば、

私たちは諸外国にない価値を生み出す労働をしなければ、

日本は衰えていく一方なんです。

 

 

 

 

 

 

 

例えば、どうして教員はブラックって言われてるんですか?

保護者対応、詰め込まれた行事、各種報告、

もう無理でしょ、っていうくらい膨らんだ業務を

マンパワーで乗り切ろうとすることを繰り返してきたからです。

 

 

 

 

 

業務量が負担になるのであれば、

マンパワーではなく、機械や外部委託するなどして、

軽減させることが先生方の勤労意欲を生み出すわけです。

 

 

 

 

 

これはたぶん、他業種でも同じことが言えると思います。

たくさん働くことが生産性を上げるのではなく、

効率を考えて、負担を軽減したり、別の選択肢を出すことが

生産性を上げる、すなわち労働の価値があると私は考えています。

 

 

 

 

 

それから先ほどの職員会議のように、

1つの組織で意見を集約する必要がある場合はともかく、

「ネット上の議論」はまったく意味がなくて、

時間を浪費していると私は思います。

 

 

 

 

 

なぜなら、人にはそれぞれのステージというものがあり、

生きるために優先しているものも違うわけであって、

そういう違いがあることをネット上ではほぼ無視して

議論をしようとしていますよね。

 

 

 

 

 

違うステージで生きているのだから、

意見は違って当たり前、どちらが正しいかなんて

それぞれ平行線になるんだから

まったく不毛でしかないわけです。

 

 

 

 

いわゆる「クソリプ」というものですが、

私がまったく相手にしないのは、

こういうバックステージを知らない人からの意見など、

何の説得力ももたないことがわかっているからです。

 

 

 

 

 

世の中で通例、慣例となっていることって、

先のコロナで結構無駄なんじゃないか

って改めて思い知らされることがあったはずです。

 

 

 

 

 

その際に生まれた0→1というのは、

新しい可能性も生み出しているわけですが、

何でも人と違うことをやればいい、

というわけではなく、

多数のヒットしなかったものもあるはずです。

 

 

 

 

 

 

これを1→0でも当てはめるなら、

「やっぱ元に戻そう」ってものもあるかもしれませんが、

「一旦やめてみよう」という決断が必要になるわけですね。

それも手当たり次第に。

 

 

 

 

 

通勤や通学は最たる例として、コロナ禍で問われた部分でしょうし、

もっと言えば、労働や教育すらも

一度やめてみる、というか無駄をそぎ落とすために

一度離れてみる、ということが新しい価値を生み出すためには

必要なことだと私は思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本日もここまで読んでいただき

ありがとうございました。

 

 

 

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