4.7戦艦大和会戦没者追悼式 | 戦艦大和会

戦艦大和会

戦艦大和会は、戦艦「大和」乗組員の志に対し、追悼式や行事等を行い、鎮魂の慰霊、威勲の顕彰、遺族の思い、造船技術等を、後世に伝承していくことを目的としています。

4.74月7日(木)午前10時より、呉市上長迫町 長迫公園(旧海軍墓地)にて、戦艦大和会追悼式を執り行いました。




お足元の悪いなかご遺族や地域の皆さま方に多数ご参列いただき、心より感謝申し上げます。
追悼の辞、ご参列の皆様の献花や追悼歌合唱など、粛々と執り行われました。




   式 辞

本日、呉海軍墓地「戦艦大和戦死者之碑」御前にて、戦艦「大和」戦没71年の追悼式を挙行するに当たり、「戦艦大和会」を代表し、謹んで式辞を申し上げます。

顧みれば、戦艦「大和」は、呉海軍工廠において、当時日本の持てる限りの最高の科学技術と「ものづくり」の力を結集して、史上最大の戦艦として建造され、昭和十六年十二月十六日に竣工しました。
呉鎮守府籍となり、山本五十六連合艦隊司令長官率いる連合艦隊旗艦として、南太平洋で活躍いたしました。
しかし、戦局極度に悪化した昭和二十年四月、天一号作戦が発動されるや第二艦隊旗艦として、日本海軍最後の水上部隊の先頭にたち、祖国日本を救い得るならばの一念に燃え、壮烈なる戦闘を交え、乗組員の必死の反撃もおよばず、第二艦隊司令長官 伊藤整一海軍大将、戦艦「大和」艦長 有賀幸作海軍中将をはじめ、忠勇無双の3,056名の乗組員とともに、その姿を九州南西沖推進350メートルの地に没したのであります。

終戦直後から、戦艦「大和」の生還者、遺族が、戦死された乗組員の忠魂・慰霊と威勲の顕彰をしようという活動をはじめ、昭和二十八年八月に「戦艦大和会」を結成しました。

翌昭和二十九年四月七日に、呉本願寺会館において、第一回戦艦大和慰霊祭を執り行い、昭和五十四年四月七日には、呉市長迫公園・旧海軍墓地に『戦艦大和戦死者之碑』を建立しました。

以後、毎年、戦艦「大和」が沈没したこの四月七日に、御魂、生存者、遺族が相互いに、心静かに語り続けることができるこの碑の前にて追悼式が開催しており、本年は、戦没七十一年目に当たります。


散華されました乗組員の忠魂・慰霊と威勲の顕彰を、後世に引き継いでいくことは、現在を生きる我々の使命であります。


天一号作戦で散華されました戦艦「大和」の英霊3,056名と、「大和」の護衛にあたった第二水雷戦隊の二等巡洋艦「矢矧」、駆逐艦「磯風」、「濱風」、「霞」、「朝霜」、「冬月」、「涼月」および「雪風」で散華されました英霊981名と、戦艦「大和」の建造に当たり殉職されました呉海軍工廠の52名の工員の方々、レイテ沖海戦で戦死された33名の「大和」の乗組員、そして、戦後に亡くなられました「戦艦大和会」初代会長 石田恒夫様、第2代会長 細田久一様、第3代会長 石田直義様をはじめ、多くの仲間に限りない感謝と哀悼のまことをささげ、御霊の御冥福と、本日御列席の皆さまの御健勝、御多幸を、心から祈念申し上げて、式辞と致します。

   平成二十八年四月七日
   戦艦大和会 会長 廣 一志

※式辞より一部を抜粋して掲載しています。

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