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※このご案内は院と関係ありません。個人の研究活動として行う、鍼灸業に携わる先生向けの学習会
案内です。
当学習会は、
① 医療鍼灸(漢方方面)の「学びのデザイン」を研究しています。
② 医療鍼灸(漢方方面)の高等教育(一部)を学ぶ場として、セカンド・スクールとして、有資格者の
先生方に学習会をご利用頂けます。
③ あん摩マッサージ指圧師の先生もご参加頂けます。
漢方方面の鍼灸の予備知識がなくても、お気軽にご来場ください!
―ーー 鍼灸漢方医学・学習会 令和6年5月学習会の御案内 ーー―------------
☆期日:令和6年5月12日(第2日曜) (※その次の学習会は令和6年7月14日(日)で会場も
時間帯も同じです)
☆会場:秋田県にかほ市 象潟公民館 2階「芭蕉の間」 (公民館電話は9時~21時までの時間帯で、
電話番号0184-43-2229)
☆時間:朝10時~12時 (公民館開館9時、学習会会場開場9時30分)
☆参加対象:
鍼灸師、あん摩マッサージ指圧師、鍼灸に関係する先生方(直接関係していなくても漢方医学の鍼灸に興味をお持ちの医療職の方であればOK)、鍼灸養成学校関係者様(鍼灸学生、保護者様・先生の同伴可)(鍼灸養成学校入学検討者様も可)
☆参加費:無料 (いつでも、各回ごとに自由参加) (領収証の代わりに参加証をお渡しします)
☆申込方法:各回ごとの事前申込と当日直接来訪の2つ
<事前申込の場合>
本年4月下旬に秋田県南部地方に郵送しました御案内ハガキ(遅れて申し訳ございません)に記載された電話番号に「ショートメール」でお申込(随時受付)ください。「通話」の場合は業務後20~21時の時間帯に受付しています(通話によるお問合せも同じ電話番号です) (視覚障害をお持ちの先生の学習会当日の「朝」の道案内等は、ショートメールでも大丈夫ですが電話番号に直接通話を下さい)。
※「通話」の場合は秋田県内の市外局番が表示される「固定電話」よりお掛け下さい。携帯電話より
お電話頂くと「特殊詐欺」と見分けられないため折り返しのお電話が出来ません、御理解下さ
い(当日朝のお電話に関しては「携帯電話」からお掛け頂いても努めて出るようにいたします)。
※事前申込頂いた場合は、感染症や気象災害等で学習会を中止するときに御連絡しますので安心です
(次項参照)。
<会場に当日直接来訪の場合>
当日、直接お越しになられても大歓迎ですが、気象災害や感染症等、不測の不可抗力の事態により学習会を休止することもある「かも」しれませんので、当日会場に直接来訪される場合は、念のため「学習会前日の17時以降に、このブログで学習会の中止記事をご確認頂く」か「学習会前日の午後以降、公民館に学習会のキャンセル処理がなされているかどうかをお電話で確認して頂く」、いずれかをお勧めします。
(このブログで前日17時までに「中止の告知」が出ていないければ、中止はありません)
(象潟公民館へ確認 → 電話0184-43-2229 公民館の電話対応時間 9時~21時)
☆学習会内容
<要 旨>
身体が喜ぶはり治療・漢方治療 (おくすりの漢方は含みません)
※鍼灸漢方というのは「おくすり漢方ではない、もうひとつの漢方部門である、漢方医学に基づい
た鍼灸」のことです
<概論的> (内容は各回で変化します、どこの内容からでも学習できます)
・女性患者様も受けやすい痛くない「はり」
・継続可能な鍼灸漢方の勉強方法
・漢方方面の鍼灸から見る「経絡」の考え方
・「腹診・脈診・証」の学び方と使い方
・よくある症例の考え方
・病気治療の考え方 (はり治療の根幹)
・はりで身体が元気になる、肉体的な強さが出て来る ほか
参加者様に応じて簡素な「実技演習」もセット可能です
(内容は各回で変化します、どこの内容からでも学習できます)
勉強になると共に楽しい学習会を心掛けて参りますので宜しくお願いいたします。(伊藤)
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鍼灸漢方コラム ~大学のオープンキャンパスに行って来ました!~
東北地方も桜(ソメイヨシノ)が満開に近付いていることと想像いたします。
また日によっては春の陽気というよりも初夏の日差しに近い日もあって、心地良いと感じる方と日光過敏等をお持ちの方とでは「受け止め」が異なるものと思われます(皮ふ症状の出る方はお辛いことと思います)。
さて今月から新年度や新学期が始まり、新たな気持ちで社会生活を送る月であります。私事ではありますが昨年度、諸条件と諸環境が重なって、大学や短大等の「オープンキャンパス」に(引率)参加する機会の多い年度でした。
今年度もいくつかの学校に足を運ぶ予定なのですが、学校の所在する土地柄や雰囲気もさることながら「良い『学び』って、なに?」という漠然としたものを少しずつ自分なりに消化する良い機会となっています。
大学や短大等で学ぶもの、身に付けるもの、というのは様々ありますし、ご本人の「やる気」によっては講義や演習で提供される「学び」を存分に(やる気によっては学費の2倍以上も)身に付けることが可能だと思いますし、一方、それほど「学び」には興味や用事がなく、学生ライフを謳歌するほうを重視するタイプの人等々、目標と目的は「人それぞれ」だと想像します。
もちろん現役で進学された方の場合は特に、大学や短大等で過ごす時間と時期が「かけがえのない人間形成のとき」ですので、勉強は最低限のラインでクリアする(したい)予定で「思い切り遊びたい」という思いもあると思います。
また、必死に勉強しなければならない理由や背景を持っている学生さんの場合は、卒業年次が近づくにつれ「人が変わったように」生き抜く力や高度資格等を身に付けている素晴らしい「成果」を得ていることもあると思います。
いずれにしてもライフ・ワークバランスのように「自分が当初予定していた形」や「自分の願っていた形」に近付いた形で卒業出来れば、その学生さんごとのミッションは完了し成就する、という解釈で宜しいかと思います。
もったいないのは「意気込み充分」で入学後、急にやる気がなくなったり「良くないほうに路線変更」してしまうことです。特に「日々の忙しさ」に入学当初の目標や目的が埋没してしまって、本来の目標が霧のようにかすんでしまって省エネルギー思考(努力を節約する思考)で路線変更となってしまう場合です。
でも、これも人生の貴重な勉強・経験でしょうし(私も耳の痛い話ですので)、それが自分の親族や身内の子供でなければ(!)「それも良し」ということになることと思います。とにかく「欠席がち」→「単位不足」→「留年」だけはご注意頂きたいと…。
さて大学や短大のオープンキャンパスでは、参加する学校や学部・学科によって、イベントとしてセットになっている「模擬授業」というのも様々です。
どんなに専門性の高い学部・学科であってもオープンキャンパス等の催しは「導入部」にあたるわけですから、その学部や学科の「専門性に関係している」一般教養的なテーマの授業を行うのが通例です。
これは全てのことに言えることと思いますが、まず「大まかなところ」を提示して明らかにして、そこから「自然な形」で導入を促すことが「学び」の手順なのだと思います。
最近のニュースや時事問題など、どこかで耳にしている「それほど難しくない話」をモチーフにしながら、そこから徐々に「それらの理解には少々の専門性が必要だということ」を少しずつ散りばめて行き、お話の進行に沿って「えっ」や「そうなんだー」というような「受講者にとっての小さな発見」の装置を、床みたいなところに要所要所に設置して、受講者はその上を歩いて通過する。
そして最終的には、模擬授業を受講する前と受講した後では大なり小なり「そのことについての見方が変わった」というような「『知』に触れた喜びの手応え」を感じて無事終了。こういう流れがオープンキャンパスの模擬授業の定石のように感じます。
ですので「すごく面白かった」という必要はあまり無く「ほんのり面白かった」とか「ちょっと自分が良くなったかも」というのが、ちょうど良いのではないかと思います。
これは私だけかもしれませんが、長く取り組むものであれば最初に「腹いっぱい」になるよりも「また2日後に食べたくなる」ような食べ物のメニューから始めるほうが性分に合っていると感じます。あまり味が濃いと「食べている最中に疲れて来る」感じにも似ているかもしれません。
他方「鮮烈な印象」でもって聞き手を魅了する方法もあるようです。
とある美術系大学のオープンキャンパスに参加したとき、学長の方が開会時のあいさつでは、
■「美術を通じて苦労して培って養った観察力とデザイン力は、必ず君たちがこれから社会に出て社
会課題と向き合ったときの力になる」
■「これから職業美術家になる人も、ならない人も、ここの大学で力を4年間しっかり蓄えて、社会
に出てから各々の領域で目一杯活躍してほしい、これからの社会は、あなた達がデザインして行
くのです」
…と、物凄いカッコ良さで「わたし(自分)の方向性」をバシッ!と参加学生の心に「刻み込む」という訴求方法も、あるわけです。
もちろん物凄いカッコ良さを感じてもらうためには、お話する人も「物凄いカッコ良い人」である必要があります。その点でもその大学の学長さんは「さすがアート・クリエーターだ!」と感じる外見と知的な雰囲気の方だったのですが、これは人柄というか人格というか自負というか、いわゆる「カリスマ」に属する種類の方なんですね。
「言葉」で何を言ったとしてもヒトの心を動かすことなどは出来ないと私は日々思っていますが、こういう学長のお話は「それらの言葉を深層心理が欲していた」という人にとっては鮮烈で強烈だと思います。
「あー、私、このまま美術の道に進んで良いんだ!」
そういう「周りの誰も言ってくれなかった、ズバリその言葉」をバシッ!と言ってくれたわけですから、これは心酔するはずです。
正直な話、私自身も「(行くなら)この大学に進学したい!」と思ったくらいです。もちろん入学することは叶いませんが、これ以降「美術大学は素晴らしい!」と憧れのイメージを持つようになりましたので参加して(参加させてもらって)本当に良かったです。
また私の頃の高校生時代にはなかった「探求」(総合的な学習の時間)という高校の必修科目の「発展形」のような学部・学科も、近頃は大学で人気のようです。
これは様々なテーマがありますが、主に「社会に通じるところに対する実践学習」で、たとえば、
・今、住んでいる身近な街の仕組みや行政の諸課題 (住民と行政への橋渡し等)
・観光 (訪れて良し、住んで良しの「まち」の設計等)
・地方創生 (従来の延長手法ではない、全く新しい方法論によって地方を創り変える)
・持続可能な都市の実現 (都市計画、コンパクトシティー、公共交通等)
・多様な人々が安心して暮らして行けるための共生社会の実現 (バリアフリー社会の実現等)
・都市計画、防災、復旧復興 (支援員、NPO、行政領域)
・年代も背景も異なる世代間の新しいコミュニティ形成論 (共生社会、伝統文化の伝承等)
など…、これらの「方法論を学ぶ」というものです(「学んだもの同士」が中心となって作り上げて行く)。
これらは製造業などの「モノづくり」と共に、社会になくてはならない「コトづくり」です。
これらを学生(生徒)自らが現状把握や情報収集を高校(大学)の授業で行なって、学生がグループ学習で状況分析と課題解決のための方法を考え、その「方法論」も学び、一定の結果(結論)を出して、かつ、それを「発表する(提出する、公表する)」というところ(最後までやり切る)までの「学び」のようです。
なかなか「人の話(意見)を聞かない、聞けない」というのが私たち大人の特徴ですが(?)、「他者の意見を聞いてそれを受け止める技術」や「皆の意見をまとめる技術」というものに、学問的な「方法論」が存在する…、ということには(いやはや)驚きです。そしてそれを発表(公表)して完結するのも大切なことだと「しみじみ」思います。
私たち「一般市民の目線」でも「小さな社会から大きな社会」まで、実際に色々な諸課題を感じながら暮らしています。これはもう毎日のことですよね。そいうことに対して「発想の芽(め)」自体はポツポツと日々、出て来る(思いつく)わけです。
でも数時間で「消えてしまう」んですよね。芽はポツポツと出る(思いつく)わけですけれども、その芽が「準備という苗(なえ)」にまで育つことは少ない…、というか「ない」わけです。
それを「行動という立ち木」にまで成長させるのも容易ではありませんし、最後までやり切って「収穫の実(み)」を得ることも、相当に稀です。
要するに「やり切らない(自然消滅)」で終わっているんですね。ひとつのことを「やり切る」というのは当な気力と体力が必要ですし、何かを止めてまで取り組まなければならないので「やらない理由」は簡単にたくさん揃えられるわけです。
ですが、おそらく、きっと、そこに関係性があるのは、あるいは必要なのは「精神性」や「志(こころざし)」という類のものだと思っています。精神性や志に「触れるもの」は「これは」と思い、触れないものは自然消滅する。そこにはその人ごとの「センサー」があるはずなんですね。
それら精神性や志からもたらされた「発想」や「行動」が、たとえ他者にとってみれば「必要ないもの」であっても、本人さんにとって「必要なもの(センサー感知)」であるならば、あまり人様に御迷惑を掛けない範囲で、大きくなったり小さくなったりする勇気を出して、どんどんチャレンジすれば良いと思います。
いわゆる「プレーヤー」として「演者」として、「ゲストではなくキャスト」として行けるのであれば、あれこれ「自分を引き留めずに」そっちで行ったほうが良い、というのが持論です。
もちろん「チャレンジすれば良い」と明言しておきながら「やめておいたほうが良い」と、まったく逆のことを言うのが大人なのですが、若い人たちは負けないでほしいです。
「フィールドに冒険に出れば必ず何個かの宝箱を見つける」というのは世界共通で(おそらく)、苦労すれば苦労するほど、苦労して来た人に感動と共感を覚えるでしょう。そして苦労して見つけた宝箱が仮に「中はからっぽだった…」としても、実際に厳しい冒険をして来たわけですから、その景色を「その目で見て来た人」と「見たことのない人」では、同じものを見ていても「見えているもの」は同じなはずがありません(もちろん冒険に出掛けることの出来た人は、それを許してくれた環境や周りの人にも感謝しましょう)。
今月、大学等に進学した方々、どうか頑張ってください。
出来れば「勉強」を頑張って、また「勉強したくない」タイプの人であっても、何か1つ、やり切ってほしいです。相撲の話ではありませんが若いときに「真正面から四つに組んだ」という経験が、何が1つでもあれば、そこで得て磨き上げた感覚センサーは、その後の人生に必ず役立ちます(「自分のこと」は信用できなくても「自分の感覚」は信頼できるものです)。
私も、今の学生の皆さん方が「自分よりもずっと年下」だと勝手に思い込んで(?)不相応に偉そうなこと風なことを言っていますが、大学等のオープンキャンパスは楽しいものです。そして「知らないこと」が沢山あるとも思いました(それはそうでしょう)。
大学等の学びのように幅広いラインナップは決してありませんが、幅を狭めた専門領域の中で学習できる「鍼灸漢方医学・学習会」のほうにも是非お越しください。なにか「小さな発見」があるかもしれません。オープンキャンパスに参加するような気持ちで気軽に御来場下さい。それでは宜しくお願いします。(伊藤)