小笠原貞慶(おがさわらさだよし)は1546年8月12日、信濃守護・小笠原長時の3男として誕生。小笠原長時の正室は仁科盛能の娘だが、母に当たるかどうかは不詳。
この頃、甲斐の武田信玄は信濃攻略中で、1548年の塩尻峠の戦いで小笠原長時が武田信玄に敗れて没落。
その後、越後の上杉謙信を頼って逃れたのち、同族の京都小笠原氏や、芥川城主・三好長慶を頼って山城国で客将となっていたようだ。
小笠原秀政(おがさわら ひでまさ)は、1569年3月21日、小笠原貞慶の長男として山城・宇治田原で生まれた。
小笠原秀政の母は、中納言・日野輝資の養女(管領細川氏の家臣・高畠長成の娘)。
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