実際の今川義元は凡将だったのか?~本当の今川義元は? | 戦国武将・幕末志士を偲ぶ
駿河・今川義元は寸胴短足で馬に乗ることができず、合戦の時なども「輿」に乗り移動したと言われているが、その記述がある資料は江戸時代中期に書かれた物で、信憑性は極めて低い。
今の世でもそうだが「勝者」は抵抗勢力・敵勢力を「自分より能力が上だ」と評価することは少なく、勝った者がその戦を正当化したり自分の強さを誇張する為に、「負けた者」はひどく言われたり、悪人と書かれたりするものだ。
今川義元は幼少より大原雪斎に師事し、賢政を布いて駿河・遠江・三河100万石の一大強国を作り上げた点から見ても凡庸ならぬ才を持っていた事は明らかであり、歴代今川家の大名でも政治・外交・指導力には優れた人物である。
実際には馬に乗ることができたが、桶狭間の戦いでは急に雨が降った為、「輿」に乗って移動していたのか、もしくは、雨を避ける為、輿の中に避難していたと考えるのが自然かもしれない。
いずれにしても、この時すでに大原雪斎は存在しなく、適切な進言ができる部下がいなかったとも言える。
実際、今川家臣団の忠誠は他大名家と比較して低かったようで、家臣が野望を持っていたのか、不忠の士だったのかと言うことが、今川義元の戦場での武運に影響したのかも知れない。
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