お江、小督、お江与の方(崇源院)~浅井三姉妹・徳川秀忠の正室 | 戦国武将・幕末志士を偲ぶ

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 お江は、浅井長政お市の方の3娘。
 姉に、豊臣秀吉の側室・淀君、京極高次の正室・お初がおり「浅井3姉妹」として有名。
 最初は佐治一成に嫁いたが、豊臣秀吉によって離縁させられ、豊臣秀勝に再嫁した。
 そして、娘・豊臣完子を設けたが、豊臣秀勝の没後、3人目の夫である、第2代将軍・徳川秀忠の正室となり、千姫、第3代将軍となる徳川家光、徳川忠長など2男5女をもうけた。

 江(ごう)、小督(おごう)、江与(えよ)とされるが、実際にどの名だったのかは諸説あり、はっきりしていない。
 再婚した際に、名を変えた可能性もあり、他にも、達子、徳子などの名が見られる。このページでは「お江」として統一して表記する。
 父は浅井長政、母は織田信秀の娘(織田信長の妹)で市、1567年に織田信長の命により浅井家に嫁いだ市(お市の方)。
 市と浅井長政は大変仲が良かったとされ、お江は浅井長政の3女として1573年に誕生した。
 長姉には1569年誕生の茶々(のちの淀)、次姉には1570年誕生の初(京極高次正室)と3姉妹で、母の市とこの3姉妹は戦国の流れに翻弄されていく生涯を送る事になる。
 下記の本文では、まず織田家と浅井家の関係を記載しつつ、お江を年表式に紹介して行きたい。

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