山県昌景~武田家を支えた重臣 | 戦国武将・幕末志士を偲ぶ

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山県昌景 (ヤマガタ マサカゲ) 別名:飯富源四郎、飯富三郎兵衛尉 1529年(1530年?)~1575年5月21日

 山県昌景は幼名を飯富源四郎と言い、のち飯富三郎兵衛と称している。兵衛飯富虎昌の弟として武田信玄の近習となったとされている。
 兄とされる飯富虎昌は武田信玄の嫡男・武田義信の傅役として、厚い信頼を得ていた。
 飯富氏は本来「飫富」と書いて「オブ」と読み、甲斐源氏・逸見光長の子が飯富源内長能と名乗ったことから始まると言われている。(出自には諸説有)
 いずれにしろ飯富氏は清和源氏の流れを汲み、巨摩郡飯富郷を領し、代々武田家の重臣として活躍する。
 ただし、飯富源四郎(山県昌景)と飯富虎昌とは年齢差が約25歳と大きいこともあり、飯富虎昌の弟ではなく「甥」と言う説が現在では有力だ。
 安芸・毛利氏の信憑性が高い史料「閥閲録」では、飯富源四郎の母は飯富虎昌の姉であり、生母である飯富虎昌の姉が没したあと継母と不仲となり、11歳の時源四郎は出奔し、母方の叔父・飯富虎昌を頼り甲斐に赴いて武田家家臣となったとある。

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