ほとんどの家に内風呂がない頃(1960年代)。
 放課後にひとしきり遊んだ後、石鹸と着替え(下着)を洗面器に入れ、銭湯へ。

 時間帯によって客層が変わる。15時~23時が営業時間。

 早めの時間帯には刺青のある任侠(ヤクザ)とお年寄りと水商売(仕事に行く前)の人達。今のように「入れ墨お断り」ではなく、一番おとなしいお客さん(迷惑をかけないという意思)だった記憶がある。

 16時頃から子供達がワイワイと風呂場でも騒ぎ、よく大人に𠮟られていた時間帯。小人料金15円(大人30円)でシャンプー有でも料金は変わらない(女風呂はシャンプー有だと高かったかも)。この頃「豆腐一丁」と風呂代(大人料金)は同じ金額。

 多くのお父さん達は近所の工場(鉄工所など)で働き、16時~17時頃に退社、明るいうちに銭湯へ。瓶の栓(王冠)を作る工場(薄い鉄板から王冠を型抜く)など多くの工場が近くにあった。

 夕飯後の時間になると母親達、更に遅い時間帯は飲食店などで働く人達が銭湯に来る。


 風呂上り、牛乳を飲む人はあまりいない印象。子供達は銭湯近くの店でチェリオ(ファンタより安く量が多い)を好んで飲み、多くの大人は立ち飲み屋(含む角打ち)で酒を飲む。
 意識の高い家庭の子供は米屋からプラッシーをケース(1ダース)で買っており、それを家で飲む。ちょっと憧れた。

 コカ・コーラやファンタ、上記のプラッシーやチェリオも瓶であり、店にある栓抜きや自販機に付いている栓抜きで栓(王冠)を開ける。大人が飲むビールも瓶である。この頃の缶ビールは鉄臭くて不味いと言っていた。

 こうやって毎日とんでもない量の栓(王冠)がゴミになっていた。暫くしてアルミ缶が主流になり、栓(王冠)は大幅に減り、工場が無くなった。内風呂(含むユニットバス)が増え、銭湯が無くなった。時代の流れで職を失う人は昔からいる。


映画:湯道(日本)

 

湯道

 

 銭湯の良さ、近隣住民のコミュニケーションの場。そんな時代を思い出す。