「ジェンダーフリーとの闘い」-「男女混合」教育の危険と克服(3) | 世界日報サポートセンター

「ジェンダーフリーとの闘い」-「男女混合」教育の危険と克服(3)

「別学」だった体育が男女共修に
体を密着させる「体ほぐし」導入

 昭和六十年に、日本政府が女子差別撤廃条約を批准したことを受け、学校ではそれまで女子生徒だけが学んでいた「家庭科」が平成六年から男女共修に変わった。それでも唯一、男女が別々に学んでいた科目がある。「体育」だ。


 そこには暗黙の了解があった。男女の体力差であり、運動能力の男女差。さらに思春期を迎える生徒に対して、異性との身体的接触に対する教育的配慮というものがあった。


 だが、「男らしさ」「女らしさ」を否定するジェンダーフリー思想が蔓延(まんえん)する学校教育の現場では、体育もまた、その標的となっている。


 その背景には平成六年の学習指導要領改定で、高校の体育に選択制が導入され、講座数が増えると男女別に対応することが難しくなり、これに伴い、男女共修とする学校が増えていったこと、小中学校で男女混合の競技などが広まっていったことが挙げられる。今では「体育」はジェンダーフリー教育の中心的な科目になったと言って過言でない。


 その理由は、これまで述べてきたように日教組の積極的な取り組みである。平成十四年八月、横浜での日教組関東ブロック大会で発表された「男女共習の体育~ジェンダーの視点から体育の問題を探る~」の中で、次のような発言がある。発言者は、男女の差や違いを「性差」ではなく「個人差」としてとらえようと必死だ。


 「明確な理由がないのに男女を別々に扱うことは、明らかな性差別教育である。たとえ教師が性差別意識をもっていなくても、別々に扱うことでそれぞれ異なった意識が育っていくことは明らかであろう」


 「文部科学省の本音には『男子には武道を、女子にはダンスを』という意図があることが推測できる。(男子がダンスをとり、女子が武道をとることも可能だが)新学習指導要領にさえもこのような発想があるのだから、体育において本当の意味でのジェンダーフリーを実現することは、決してやさしいことではない」


 だが、彼らの心配は杞憂(きゆう)と言えよう。なぜなら文部科学省の体育に対する方針が大きく転換したためだ。平成十年告示の中学校学習指導要領で、これまでの「体力・運動能力の向上」重視の体育に、「児童生徒の心身の健全な発育・発達」という視点が加わったのである。この背景には他者とのコミュニケーションを満足に図れない、不登校の増加、「きれる」児童の増加などの社会問題がある。そこで円滑なコミュニケーションを図る学習を体育に求めた。新たに導入されたのが「体ほぐしの運動」なのである。


 大日本図書の中学保健教科書に掲載されている「体ほぐしの運動」の写真は、クラスの男女が円形に、交互に座り、後ろの人に体重を預けて横になるというもの。説明には、「笑うと友だちのおなかが動くことがわかります」と能天気な文章が付いている。


 隣のページには円形になり、男女が背中をたたく場面、男女でストレッチングする写真が載っている。この教科書のグラビアには、「おたがいのからだに気づき合うペアでの運動」と題して、男女が「相手を転がしたり、ひきずったり」「相手のからだを回したり、ゆすったり」という場面の写真も。この教科書には、「わたしたちのまわりでは、男らしさ、女らしさということよりも、自分らしさを大切にしようというジェンダーフリーという考え方も大切にされています」という一文まである。


 学研の中学保健体育の教科書には、男同士、女同士が対面で手首を握り合い、その上を生徒がうつぶせで渡る「人間トランボリン」がある。東京書籍の教科書も、二ページ半のカラーグラビアで、男女が一緒になっての「おしくらまんじゅう立ち」やふたり縄跳びなど、体ほぐし運動を紹介している。どの教科書も強調するのは、「仲間との交流」であり、楽しく愉快に「自分や相手の体の状態に気づく」ことだ。


 かくしてこれまで別学だった「体育」は一気に、男女混合密着教育に“変身”したのだった。

(鴨野 守)


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