百田尚樹著「影法師」(講談社文庫)を読む | 世日クラブじょーほー局

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影法師 (講談社文庫)

 

 

 下士の身分から藩の筆頭国家老まで上り詰めた主人公、名倉彰蔵(幼名、勘一)。そのもとに、刎頸の友であった磯貝彦四郎の訃報がもたらされる。彦四郎は中士の身分で、その才は文武において優れ、ライバルと見立てた勘一の心胆を常に寒からしめたのだった。不遇のうちに逝ったとされる彦四郎。その報に絶句ずる勘一。二人の運命を分けたものは何だったのか。

 

 太平の江戸の世にあっても、武士たる者、一旦緩急あれば命を賭ける覚悟が求められた。幼少のとき、父親を目の前で斬り殺された勘一。以来、学問と剣術に励みつつ、いくつかの修羅場もくぐり抜けてきたが、あらためてその人生を振り返ってみるに、筆頭国家老という今の自分の立場に不可思議さを禁じ得ない。

 

 特に印象的な場面はこうだ。百姓一揆を率いた首謀者の一族郎党が処刑されるシーン。磔にされ、下から脇腹を交互に槍で突き抜かれる。その中に首謀者の5歳の息子がいるが、首謀者は息子を怖がらせたくないからと、自分からでなく、息子からやってくれと頼む。そして叫ぶのだ。「吉太っ。今から、おっとうとおっかあと共に極楽行くぞ。おっとうが見ているから痛くない。吉太、泣くなよ」と。この首謀者は村の年貢の軽減のために自分自身はおろか、一族郎党の命を賭けたのだ。農民も一旦緩急あればその覚悟が要った。

 

 この物語に貫かれているテーマは、滅私奉公か。そしてそのことをおくびにも出さない武士の潔さか。いま、巷を見渡せば、「俺が、俺が」の権力闘争がかまびすしいが、本作はそんな世情に痛烈なアンチテーゼとして響くこと必定。そして読者に、今、命をかけるべき価値あるものは何かを問う。夏の終わりに一服の清涼剤となった。