リチャード・クー著「バランスシート不況下の世界経済」(徳間書店)を読む | 世日クラブじょーほー局

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バランスシート不況下の世界経済 (一般書)/徳間書店

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 2007年のリーマンショック以降の世界経済の状況をクー氏は、「経済学の危機」ととらえる。なんとなれば、「これは通常の不況ではなく、経済学でこれまで言及されていなかった全く違う種類の不況」だからだという。クー氏はこれを「バランスシート不況」と呼んだ。

 バランスシート不況とは、ざっくりこうだ。ある国でバブルが崩壊し、資産価格が暴落することによって多くの民間(企業+家計)のバランスシートが毀損。通常企業は、利益の最大化をその目的とするが、この不況下では、債務の最小化がその目的に取って替わる。これは個々の企業としては正しい行動だが、あまりに多くが同じ行動をとることによって「合成の誤謬」が生じ、投資や消費など民間資金需要が縮小し、経済は縮小均衡へ向かい、果ては恐慌へと突き進むことになる。借り手が極端に少なくなった市場で、金融政策は効果がなく、ここでは唯一、財政政策のみが有効で、民間のバランスシートが修復されるまで金融機関に滞留した資金を、政府が積極財政によって吸い上げ、経済を支えることが重要になってくる。
 
 日本では、1990年のバブル崩壊にともなう資産価格の下落によって、国内総生産の3年分に等しい国富を失った。クー氏によれば、これは平時に一国が被った経済損失としては史上最大だという。しかしそれにもかかわらず、日本のGDPはバブルのピークを下回ることがなかった。”失われた20年”とはいうもののGDPは維持されたのだ。それはひとえに、政府の財政出動が奏功した結果だ。まさに「バランスシート不況」に対する適切な処方箋が実行されたといえる。加えて97年に、橋本内閣が財政再建路線を打ち出さなければ、日本は景気の本格回復のチャンスがあったという。しかし実際は消費税の3→5%はじめ、総額13兆円のデフレ政策の強行により、その後、5四半期連続でマイナス成長となり、逆に長期デフレ不況への突入を余儀なくされることになった。それでもクー氏は、2005年には企業のバランスシート問題は解決されたという。その後はバランスシート不況の後遺症たる「借金拒絶症」が今日まで立ちはだかるが。

 ともかくクー氏は、「日本の財政出動は、人類史上最も成功した経済政策の一つ」と断言する。しかし、財務省はじめ財政再建派は聞く耳をもたない。読売新聞4月1日にインタビュー記事が掲載された元経済財政相の与謝野馨氏など典型だ。国家と一家庭を同列に論じ、「入るを量りて、出ずるを制す」の原点に戻るべきだなどとし、さらに財政再建のために、将来、消費税は20%に上げざるをえないなどと言っている。

 さらに「ボイス」3月号で、内閣官房参与の藤井聡氏が「ついに暴かれたエコノミストの『虚偽』」の論考で、同じく内閣官房参与で、安倍首相の経済ブレーンである浜田宏一氏と早大教授の原田泰氏、さらに日銀副総裁の岩田規久雄氏らを指してマンデルフレミング理論(財政政策の無効化)という“古い”経済モデルに依拠し、日本経済の現状を正しく捉えていないと批判している。

 本書では逆に米国においては、FRB議長のバーナンキの例を挙げながら、「財政の崖」という表現によって、早急な財政再建路線には慎重な姿勢に転じたことが「バランスシート不況論」が同国で浸透してきた状況を伝えている。

 もっとも財政赤字が現在でも対GDP比で240%ということを聞かされると、これ以上の財政悪化には二の足を踏むのも人情というものだが、財政赤字の規模が問題でなく、長期金利をチェックする必要がある。さらに「バランスシート不況時に政府が実施しなければならない財政出動をファイナンスする資金は、その国の金融市場に未借貯蓄として滞留していることになり、この資金が同国の国債購入に回れば財政赤字のファイナンス問題は発生しない」のだ。
 
 米国では、1929年から始まる大恐慌において、時のフーヴァー大統領の財政均衡政策により、わずか四年の間にアメリカのGNPはピークから46%も減少してしまった。その後、民主党のF・ルーズベルトによる「ニューディール政策」によって、37年までには経済指標の一部は29年の水準まで回復した。しかしルーズベルトは景気が回復する中で、財政赤字は良くないと考え、財政再建に舵をきる。そうすると米国経済はあっという間に崩壊し、株価は再び半分に、鉱工業生産は三割落ち込み、失業率は再び激増するという事態を招いてしまった。結局、米国経済がその後本格的に回復するのは、第二次大戦での天文学的積極財政を待たねばならなかったとクー氏は説明している。

 だが一方、フリードマンらマネタリストによれば、FRBの金融政策の変更(マネーサプライの増大)によって景気回復したと主張。日銀がリフレ派の黒田東彦氏や岩田規久雄氏を迎えたのもその流れだという。それでもアベノミクスによって日本経済は円安・株高に向かった。しかしクー氏は、その内実はNYのヘッジファンドを中心とする外国人投資家による日本への資金移動によるものでラッキーだったのだと諭し、加えて黒田日銀によるデフレ脱却のための量的質的異次元金融緩和はいずれ「量的緩和の罠」(景気回復→長期金利上昇→金融引き締め→景気回復→長期金利上昇を繰り返す)に陥り、無傷で生還する可能性は極めて低いと警告した。

 クー氏は、第一次安倍政権が短命に終わったのも構造改革一辺倒で財政がおろそかになり、景気の改善が遅れたからだと指摘。それに対して今回のアベノミクスの構造改革は農業、エネルギー、環境、医療やTPPも借り手を増やす政策であるとして支持している。しかしそう素直にとれるか。やれ“岩盤規制”だのそれを砕く“高速ドリル”だの、モロ庶民ウケを狙った安っぽいレトリックにうんざりだが。

 消費税増税については、民間がゼロ金利下でも貯蓄に走っている中で、経済的には税率を上げる理由はないとしながらも、政治的にはいつかは実施しなければならず、それが与野党合意のある今であるのだとすれば、増税からのマイナスの経済効果を財政出動で相殺することが不可欠とする。政府は5.5兆円の経済対策で、1%分の影響にとどめようという算段だが。クー氏は今回の増税は97年ほど大変ではないだろうと予測。その理由として97年は、消費増税に加え、大型補正予算の見送り、特別減税の廃止、社会保障負担費のアップという四点セットだったが、今回は消費税引き上げのみだからとのこと。企業の「借金拒絶症」を乗り越えさせる投資減税や一括償却をぜひとも実施することなどを注文しながら、アベノミクスに期待を寄せている。

 ユーロ危機についてクー氏は、「バランスシート不況論の最高の応用問題」だする。マーストリヒト条約で、ユーロ参加国は財政赤字をGDP比で、3%以内に抑えなければならない。これが参加国の財政政策を縛り、リーマンショック以降、ドイツを除く多くの参加国で発生したバランスシート不況に対応できていない。が、マーストリヒト条約のこの条項と、複数の国債市場が同一通貨圏内に存在することによる非生産的な資本の移動問題という2点をクリアすれば、(ギリシャの放漫財政体質は別問題として)ユーロは、高尚な偉業だと評価している。

 とまれアベノミクスによって、日本経済には曙光が差している。これを真に確かな持続的成長へともっていくには、米国がそうであるように、「バランスシート不況論」によってこれまでの経済学をアップグレードする必要がある。先述の藤井氏は、同論考の結論で、「これはすでに経済学の理論上の議論ではない。データを読む知性と良心の問題である」と半ば叱咤しておられるが、まず求められるのは、経済学者の淀みない素直な心の涵養か。ムリか~。