東日本大震災2周年をひかえ、祈りの力による日本再興を | 世日クラブじょーほー局

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奇跡を呼ぶ100万回の祈り/ソフトバンククリエイティブ

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村上和雄著「奇跡を呼ぶ100万回の祈り」(ソフトバンククリエイティブ)を読む

 1995年の阪神淡路大震災によって思い知らされたのは、住宅にしろ、自動車にしろ、虎の子の預貯金にしろ、人々が人生を費やして営々と築き上げてきた文字どおり血と汗と涙の結晶たる財産も、巨大な自然の猛威の前に、一瞬にして崩れ去ってしまうということだった。

 一昨年の東日本大震災でその思いを再確認させられた。「形あるものは崩れる」。これは洋の東西や時代を問わずいかんともしがたい自然の理なのであり、また自然災害は、日本に運命付けられた避けえぬ現象だ。しかしこれは戦後の高度成長や、バブル経済を頂点として風靡した物質至上主義に対する天からの鉄槌ともいえ、これに過大な価値を置いてきた者は、跡形もなくなった自らの財産とともに、これまでの人生が水泡と消え、茫然自失するのみとなった。3・11を体験し、自分にとって何が一番有難く、守るべきものなのかという問いに、まず命あることへの感謝であり、そして結局、「絆」や「家族」なんだということが自然と湧き上がってきたのだった。

 本書の冒頭でも、あの日(3・11)から「何かが変わった」のだと説き起こす。すなわち誰彼ともなく自然にこみ上げてきた「祈り」によって、物資至上主義から、目に見えないものへの重視という価値転換が起こったということだ。

 著者の村上和雄氏は奇異な科学者だが、本書のようなスピリチュアルモノは巷に数あれど、科学者がそれを肯定的に取り上げ、分析、解説するとは画期的であり、その労は多とするところだ。村上氏は、宗教でいうところの「神」、目には見えないが、確実に存在する「大いなる何か」を称して、科学者の立場から「サムシング・グレート」と名付けた。その村上氏が、「祈り」とは何であり、その効用とハウツーまで教えてくれている。

 祈りの効果と言う面で、本書の例をひとつ挙げれば、

「他人に祈られた患者は、そうでない患者に比べて、人工呼吸器、抗生物質、透析の使用率が少ない」

という。これには、因果関係が説明できないと反論が返ってくるのが目にみえているが、実際の実験結果なのだ。

 あるいは、松下幸之助のことばを取り上げている。

「素直なこころになりたいと、朝夕こころに思い浮かべ、絶えず日常のおこないにとらわれた態度がなかったかと反省する。そういう姿を1年、2年と続けて、1万回、約30年も経ったならば、やがては素直の初段に到達できるのではないか」

「事を成そうとすれば、一万回の祈りを捧げよ」

 この謙虚さこそが、幸之助をして「経営の神様」たらしめた源泉だったのかと何度も唸らざるを得なかった。

 本書はかように有用な書であるが、ただ一点村上氏は、「38億年の生命のドラマを、実は私たち人類は、誰もが一度体験している」として、母体中の胎児の例を取り上げ、「受精卵から細胞分裂を経て、胎児となって成長していく間、胎児は魚のような形になったり、爬虫類のような形になったりと、地球上で生物が進化してきた過程をなぞるような変貌をとげてゆきます」と説明している。

 ダーウィン進化論の証拠だとしてこれまで生物教科書に必ず陣取ってきた「ヘッケルの胚の比較図」をもとにした指摘だろうが、この図はまったくの偽造であることを当のヘッケル自身が認めている。しかし彼の偽造告白も、「この絵が1901年に<Darwin and after darwin>という本に使われ、広く英語の教科書に使われるようになってから、すっかり忘れ去られてしまっ」(渡辺久義、原田正著「ダーウィニズム150年の偽装」アートヴィレッジ)て今日に至る。米国でのID論争を村上氏が知らないはずがなかろうが、そこまではアップデートされていないということか。

 それはともかく、3・11によってもまだ遺伝子のスイッチがONとならずにいる方、迷いや恐れに囚われている方は本書を手にしてみて、あらためて自分の過去から現在を見つめ直し、希望ある未来への第一歩を踏み出す機会とされたい。