NHK Eテレ ETV特集「鯨の町に生きる」をみて思う | 世日クラブじょーほー局

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 和歌山県太地町のイルカ漁を批判的に活写した映画「ザ・コーブ」によって、この長閑な漁町はにわかに殺気立った。

 この番組は再放送だったようだが、太地町に常駐したシーシェパードの傍若無人ぶりとそれによって精神的に追い詰められていく漁師の様子を目の当たりにして、これが主権国家の有様かと驚愕した。

 政治の使命は国民の生命、財産を守るにあるというが、札付きのテロリストの上陸と、常駐を許し、違法すれすれまでの執拗ないやがらせによっての生業の妨害、ひいては生命の危険さえ感じうる状況を放置しているとすればこの国の政治はもはや死んだといえる。

 警察も具体的な犯罪行為がない限り取り締まれないというが、彼らが、NHKのカメラが回ってても全く躊躇しないのは、全て折り込み済みのことだからだ。彼らはアジテーションとプロパガンダのプロだ。潤沢な資金を持ち、その背後には、彼らを英雄視するパトロンを世界中に抱え、環境保護と動物愛護を盾に、目的の為には手段を選ばないやっかい極まる連中だ。彼らの抵抗に屈して日本の南氷洋における調査捕鯨も中止された。許し難い暴挙だが、当局さえ手にあまるのだ。

 漁師たちは、屠殺現場を彼等に利用されないようにビニールシートで覆ったのだが、それを逆手にとって、「罪悪感があるから見せられないんだろう」「自分の子どもにもやらせてみろ」などと挑発され、次第に彼等のロジックにはまって、悩みはじめる。屠殺現場を見せろなどおよそ文明人のいうことではない。得体の知れない生体実験でもやってるというなら別だが、「血で海が真っ赤に染まってる」って屠殺現場が海だからでしょ。

 およそ屠殺などというものは凄惨に違いない。牛や豚、鶏の屠殺現場はどんな人道主義的配慮がされているというのか。一般消費者は、そのことを頭の片隅にさえ浮かばせずに済むので、平然と精肉を買い、食することができる。くじら、イルカは高等動物だから殺生はダメで、牛、豚、鶏その他はいいという線引きの基準などあろうはずもない。科学的知見に基づかない単なる感情論、まったくの独善であり、彼らの論理破綻は明らかだ。

 またかれらのダブルスタンダード(マルチスタンダードか)は筋金入りだ。世界中で金目当ての絶滅危惧種の密漁が絶えず、また工業廃水や大気汚染などによる環境破壊などはよっぽど深刻と思われるし、まして人権だにままならない国家が現存するなど他にやることはいっぱいあるにも拘わらず、それらには目もくれず、この小さな漁町を狙い撃ちしている。がしかし、シーシェパードにとって太地町やイルカは単なるデモに過ぎず、真の狙いは日本そのものとみるべきだ。人種差別が背景にあり、優生思想をみてとるべきだ

 筆者近辺からは、「廃れゆく文化に手を貸すな」「イルカ屠殺は酷い」などの声が聞こえてきた。「文化は変わりゆくものだ」とも。しかしその土地の風土に根ざした文化こそ、民族、コミュニティのアイデンティティであり、守るべきものではないのか。自主廃業が自然の流れなら、敢えて「文化を守るためやめたらダメですよ」という必要もないと思うが、これを近代合理主義の足枷とみなし、これでもかと貶め、いわんや外圧を利するなど革命に手を貸すに等しい。

 各国に首を傾げるような(食)文化もあるが、気に喰わなければ実力行使も辞さないことが許されるなら、法治国家も、国際秩序も成り立たない。自明のことが、この件だけは特殊な例外扱いとなっている。

 日本が自然との共生を最も体現してきた民族だということは広く認められよう。そして食文化こそ命にかかわるが故に最も本質的なものといえる。「いただきます」とは、自然への感謝と共生の宣誓にほかならない。自然を支配征服の対象とみなし、乱獲濫伐をやってきたのはどの人種だったか。奴隷制度があったのはどこの国だったか。

 日本の歴史、伝統、文化を体現する象徴的存在が天皇であり、皇室だ。彼らの狙いがこれでないといいきれるのか。イルカを食す蛮族が戴く封建時代の遺物であり、戦争責任を免れてるなどと言ってこないといえるか。

 とまれ「ザ・コーブ」がアカデミー賞を受賞している現実に日本国民はもっと危機意識を持つべきだ。これは太地町とその漁師だけの特殊な問題では断じてない。国家主権が挑戦を受けているのであり、優生論争を仕掛けられているのだ。