波乱の年始 | 線維筋痛症と闘う介護士~絶賛子育て中~

線維筋痛症と闘う介護士~絶賛子育て中~

原因・治療法不明の難病、線維筋痛症と闘う介護士の記録。2014/12/22、正常妊娠確認。2015/8/21、2618gの男児出産。痛みと戦い、コントロールしつつ、絶賛育児中!

乾燥で肌がパリパリカサカサだよっ!な今日この頃。皆さんいかがお過ごしでしょうか。
年が明けて…年始のご挨拶をと思いながら日々過ごしているうちにもうすぐ3月…!
本年もぼちぼちっと更新して行けたらなぁと思っています。宜しくお願い致します。

さてさて。
年明けから色々ありまして。
悲しいことに5年間一緒に暮らしたウサギのピノと1月3日にお別れしました。

実は昨年秋から口腔内に腫瘍が出来てしまい、人間で言えば口のなかに拳1個分弱あるような大きいもので自力での食事ができなくなっていました。体重もみるみる減って明らかに骨と皮状態に。
場所が下顎の骨なだけに外科治療するには顎の全摘になり、それはウサギには酷すぎること、内科的治療は抗がん剤となる訳ですが体力的に耐えられないだろうこと、持病もあるし、わたしもこれ以上苦痛は与えたくない、と緩和ケアをすることに決めました。
腫瘍により顎の骨が変形もしくは相当に圧迫されていてとても痛い状態だろうことから、腫瘍に関しては強めの痛み止めを処方して貰うのみとしました。

一昨年夏には心肥大と肺水腫が見つかっていますので、もうこれまでか…と諦めました。

しかしよくよく観察している、餌箱をのぞきこんでは「しゅん…⤵️」としている様子。
食べたくないのではなく、食べられないのだ!!と気付き、あわてて強制給餌をしました。
(この時までは自力で食べられなくなったらもうそのまま見送ろうと、夫婦で決めていました)

そしたら喜んで食べる!
心肥大で苦しい時は嫌々だったけど、このときは鼻をふがふが鳴らしながら喜んで食べていました。
わたしが準備を始めると、ケージのなかからまだかまだか!と催促するように動き回ったりもしていました。

この子はまだ諦めてない。

だからわたしもパートのために頻度はあげられませんでしたが強制給餌を続けました。
そして奇跡がおきました。
1ヶ月も経ってなかったと思うのですが、ある朝いつも通りにごはんをあげにケージの前に腰かけると、餌箱のなかに異物を発見。(多少は自分で食べれるように常に餌箱にはふやかしたペレットを入れていました。)
はじめはペレットが固まったものかな?と思ったのですが、手に取ると異様な固さ。
思わず変な声で夫を呼び起こしました。

ペレットの粉とかが付いていたので水で洗い流してみると赤い肉のような、レバーのような、砂肝のような…
押すと本当に固くて、でも血が滲む…

そして、ピノの口の腫れは外からでもわかるくらいだったのがなくなっていました。

その日はパートだったので、取り急ぎ冷蔵庫で保存して週末挟んで4日後に病院にいくと口の中の腫瘍であることがわかり、さらに日にちが経っていて無理かもしれないけど…と思いつつ検査に出してもらったら良性腫瘍であることもわかりました(結果がわかったのは一月後なのですが。そしてその間にまたしても致命的なトラブルが…後で書きます)

時々、口から出血していたのですがきっと少しずつ腫瘍がちぎれていたんだな、と。

そこからは猛烈な勢いでご飯を食べ始めました。
このまま体重が増えてくれたら安心!と見守り続けるも、新たな異変は突然でした。

左後趾の麻痺

それも発見は朝でした。前日まで普通だったのに。
でも今思えば前兆だったのかな?と思うこともあって。
サークル内での散歩のときに毛繕いをしようとして時々バランスを崩して転ぶ姿がありました。でも痩せて体力落ちたからかな?と思い込んでました。
ちなみにこのときはまだ腫瘍の結果を聞いておらず、しかもこの日はかかりつけが休みだったため、急いで近所の急患受付しているウサギも診れる病院へつれていきました。
骨折かもしれないし…だとしたら治療すればきっと治ると信じて。

病院へいくと家では動かなかった足が動いて、ぎこちないながらも歩いたんです。骨折していたらそうはいかない、と…
脳への、腫瘍転移では…とのことで治療しようがないとのことでそのまま帰ってきました

とてもショックでした。
ただ、食欲は相変わらずあったので、このまま今の状況に適応して生きる子もいると言う話もお世話になっているショップの店長さんから聞いて、希望は捨てずにいました。
後日かかりつけ医にかかると、腫瘍は良性だったこと、しかしやはり背骨や足の骨折ではないという所見。
原因はわからずじまいでした。
タオルを丸めたクッションを作って、転ばないように、餌は食べやすいように位置を低くしたり浅い食器を選んだり日々試行錯誤しました。
しかし麻痺は右側にも広がり最終的には全体的に四肢が動かしづらくなっていきました。
強制給餌も続けましたが、年明け3日朝。起きるとぐったりして動かなくなっていました。
ついに別れの日が来たと悟りました。

この日、夫は早朝から仕事でした。
息子を祖父母に託し、タオルにくるんでずっと抱っこしていました。
水だけでも…しかし反応はありません。
時々急に体を硬直させては弛緩を繰り返し、そのときはひどい眼振がありました。体は冷えきっていました。

早く楽になってほしい気持ちと、難しいのはわかっているけど、なんとか持ち直してほしい。せめて夫が帰るまでは…という気持ちとのせめぎあいでした。

抱っこしているうちに少しずつ意識が戻ってきているというか、動きや反応が変わってきました。それと同時に口をちゅぱちゅぱ鳴らすので、ためしにスポイトに水を入れて口元へ持っていくと沢山水を飲みました。
粉のペレットを溶かして飲ますとそれも飲んでくれました。
薬も飲んでなかったので、迷った末、痛みがあるなら楽にしてあげたいし血圧を下げることにはなるけど心臓の薬を急に止めるのは恐かったので、普段飲んでいる薬をいくつか服薬しました。(降圧剤(心肥大のための薬)、食欲増進剤、痛み止め)
利尿剤もあるのですがこの日1日やめたところで大きな影響は無さそうだったので様子見しました(自己判断)

少しずつ動きが出てきたところで、水を飲ませると見せかけてふやかしたペレットもあげると、騙されて口に入れるもののすごく不服そうな顔をして食べていました(笑)
しかしやはり体が受け付けないのか下痢となり…

服薬して、ちょうど効いてきた頃でしょうか。14時くらいからは再び反応が鈍くなり、眠っているようでした。意識が朦朧としているようにもみえました。

18時頃夫が帰ってきました。
間に合いました。
息子も祖父母宅から帰宅しましたが、まだ状況がつかめず、わたしと遊べないので夫とはしゃいでいました。

安定していたのと、家族が揃った安心感からかわたしはとてもお腹が空きました(食べてなかったので)

「ピノ。ちょっとだけ、降ろしていい?お腹すいちゃった。食べてくるね。すぐ戻るから」

と、膝から降ろそうとした瞬間突然暴れだし、苦しみだしました。
目をきつく閉じ、子犬の鳴き声のような声をあげ、そのうちに口をぎゅっと結び…

ごめん!ごめんね!!ここにいるから!!大丈夫だよ!!いかないよ!!ごめん!!ごめんね!!
でももう頑張らなくていいから!みんないるからね…

ふっ…とピノの全てが緩みました。


…え?

呼吸が止まっていました。
まだ脈のような動きは確認できましたがそれもすぐに止まりました。

19時42分頃でした。

よく頑張ったね。楽になったのかな?という気持ちと、別れの悲しさと、悔しさと…いろんな感情が溢れました。
それでも、お別れの覚悟は決まっていた部分もありまして。麻痺生活で汚れてしまった体をきれいにしたい、と子供の夕飯は夫に任せわたしは浴室へ直行。硬直が始まる前に!!と(既に始まっていましたが)

まぁ~たくさん蓄えたわねうんちちゃん。
こまめに拭いてはいたもののこびりついてしまったものや毛の奥に蓄えられたものはやはりシャワーしないとだめで。
本当は顔ももっときれいにしてあげたかったのですが、ウサギの毛は乾きにくいので、下半身(?)だけ。
きれいにふわふわの毛に戻り…。姿勢を整えてタオルにくるむと眠っているようでした。
火葬するまで2日ほど保冷剤とともにタオルにくるみ安置していたのですが、息子が
「ピノちゃん、風邪引いてるのかなぁ?」
と。説明はしたのですがまだ理解は難しいですね。

借家なので埋葬するわけにはいかず、移動火葬車を手配してきれいにお骨にしてもらえました。
曲がった前歯もちゃっかり?きれいに残してもらえて。

そのあとは覚悟していたとはいえ、すっかりピノロスに陥ったわたし。
日々決まった時間にごはんの準備や投薬をしていたためその時間がくると苦しくて。
特に夜、食事や掃除をまとめてやってそれで1日を締めくくる生活を続けていたので、ピノがいないと1日をどう終わらせていいのか…
脱け殻になるわたし。
ピノを見送り、脱け殻状態、突然静かに泣き出すわたしに夫もだいぶ戸惑っていました。

あー…これがペットロス…まずいなぁ…どうしたらいいんだろ…

と、思った矢先、インフルエンザにかかりました(突然の展開)

線維筋痛症の痛みも相まってそれはもう壮絶…
話題(?)の1回服薬すればOKな薬を処方されましたが2~3日、本当に起き上がれず食べれず…眠っているか痛みで頭がいっぱいみたいな状態になりました。
ピノのごはんと薬…あ、ないんだった、と思う余地もないくらい。

そしてインフルエンザが治るとピノロスが吹き飛んでいることに気付きました。
日課や日常がなくなりどうしたらいいの状態だったのが、さらに上をいく非日常(強制的になにもできなくなる)になり、そこから戻ったときピノを失った悲しさはなくなっていませんが、戸惑いがなくなっていました。

きっとピノによる荒療治だったのでは?と後に家族やお世話になったショップの店長さんと話していました。その通りかも😂

その2週後にも高熱をだしたり…(インフル陰性。でも偽陰性だったのでは?と言う経過を辿りました)

長くなりました。
まとめると
年始にピノとのお別れ、ピノロスに陥るも1週間後くらいにインフルエンザでピノロス吹き飛ぶ。
日常?が戻ってきてなれた頃にまた高熱を出す。そんな年始めでした。


なんか他にもあった気がしますが…インフルエンザ後からしばらく物忘れや注意力散漫が続いて忘れてしまいました!!\(^o^)/たぶん!!


そんなこんなで今は元気です。
が、やはりいなくなった寂しさからか緊張が解けてしまったからか体調は低空飛行。それでも毎日生きてます。

長くなってしまいましたがこんなところです。

読み返したらめっちゃ長い!
飛ばさずに読んでくださった方、すごいです!ありがとうございます!!
飛ばし飛ばし読んだ方、それ正解!ニヒヒ

いつもながら…まとめるの下手!!苦手!!

おわり。