原稿№103 【週刊 戦国未来】 「坂本龍馬は明智光秀の子孫か?」 | 戦国未来の戦国紀行

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9月16日放送『西郷どん』「戦の鬼」を見ました。

 

西郷隆盛って、ブラックですね~。

 

タイトル通り、「鬼」ですね~ 節分

 

 

 ──こんな西郷どんは見たくない。

 

と思った人はどうするでしょう?

 

NHKに投書する?

 

SNSで怒りを発散する?

 

「ええじゃないよ」と放送局の前で踊る?

 

 

■読売新聞「「西郷どん」PR用のぼり、1週間で53本損壊」
(2018年09月18日 07時24分)
 鹿児島市などがNHK大河ドラマ「西郷どん」放映に合わせて同市加治屋町に開設した観光施設周辺で17日までに、PR用に設置されたのぼり計53本の支柱が折られたり、引き抜かれたりしているのが見つかった。同市から被害届を受けた鹿児島県警が器物損壊容疑で調べている。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20180918-OYT1T50008.html

 

 

慶応3年(1867年)

7月14日 牟呂で「お札降り」

※「ええじゃないか」は8月末には近畿地方に波及した。

10月14日 大政奉還

11月15日 坂本龍馬暗殺

12月9日 王政復古。「ええじゃないか」終了。

※「ええじゃないか」について、岩倉具視は「八月下旬に始まり十二月九日王政復古発令の日に至て止む」と記している。牟呂の「ええじゃないか」は、鍬をお札に変えた「御鍬祭」的臨時祭礼であったが、京都の「ええじゃないか」は尊王攘夷派が仕掛けた騒動(抗議行動、デモ)だとする説がある。その正否はともかく、「ええじゃないか」騒動により、結果的に岩倉具視の隠密行動が可能になったという。

 

 

坂本龍馬との決別シーン

坂本龍馬が懐に手を入れると、

拳銃を取り出すと思った西郷隆盛は刀に手を。

懐からカステラを取り出す坂本龍馬。

半分に分けて与えようとするが、

西郷隆盛が拒否すると、

坂本龍馬は「違う船に乗ったみたいだ」とその場を去る。

その姿を「ええじゃないか」と踊る民衆が消す。FO

 

私が演出家なら、

坂本龍馬は「道を逆方向に歩いているようだ」とその場を去る。

「今、殺さないと…」と思い立って後を追う西郷隆盛。

殺気を感じて振り返る坂本龍馬。

坂本龍馬は拳銃、西郷隆盛は刀に手をかける。

その時、中岡慎太郎が「ええじゃないか」と叫ぶ。

付近の民衆が「ええじゃないか」と踊り出して2人の間に入る。

2人から殺気が消え、お互い微笑む。

これは、「己が信じた道を進め」というエール交換だ。

そして、2人は背を向け、逆方向に歩いていく。

かな。笑顔の別れにしないと悲しすぎる。

 

 

私の原稿「坂本龍馬は明智光秀の子孫か?」の構成は、

 

①坂本家(武家)は、才谷家(商家)の分家である。

②坂本家(才谷家)の家伝には、坂本家(才谷家)の祖先を「明智光秀」とするものと、「紀貫之」とするものがあり、坂本龍馬は、他の明智光秀の子孫同様、「明智光秀の子孫」とは名乗れず、「紀貫之の子孫」と名乗っていた。

③倒幕派の志士たちは、坂本龍馬を「坂本」姓や胸の桔梗紋を見て「明智光秀の子孫」だと信じており、「信長殺し」に匹敵する「将軍殺し」を期待したが、坂本龍馬は、ブラック西郷に面と向かって、「「将軍殺し」はよくない」と言ったので、ブラック西郷以下、倒幕派の志士たちは坂本龍馬に失望した。そして坂本龍馬が暗殺されると、妻が「あんたが主人を殺したんやろ。主人は、「将軍殺し」など考えていなかった。主人は、商家・才谷家の分家として、貿易会社「亀山社中」の運営をしたかっただけなのに」とブラック西郷に詰め寄った。

 ──所詮、「明智光秀の子孫」と名乗れないへたれか。

中岡慎太郎の墓の横の坂本龍馬の墓石には、「明智」でも「土岐」でもなく、「紀」と彫られた。

 

です。

 

 原稿を送ったら、編集長に「調べたことを書くだけではなく、最後にあなたの見解を書いてください」と言われましたが、私の説は「分からない」です。ただ、才谷村に来て「才谷氏」と名乗り、質屋や酒造業を始めた人ですから、「どこの馬の骨か分からない人」ではなく、「資金とその方面の知識を持った人」だと思います。(「資金」については、坂本城の落城時、明智光秀の妻が、家臣たちにお金を与えて逃したという話とも繋がりそうですね。)もちろん、「資金とその方面の知識を持った大浜氏」の娘婿になって、その家業を引き継ぐという方法もありますが、「資金とその方面の知識を持った大浜氏」は、「どこの馬の骨か分からない人」には娘をあげない、家を継がせないでしょう。娘をあげるなら、名門・明智氏とか、名門・紀氏がいい。(娘と結婚したいために偽の家系図を作った?←妄想www) 土佐国に明智光秀の子孫(を名乗る人物)がいたことは、幕末の『土佐諸家系図』に「明智系図」があることから明らか。

 倒幕派の志士たちにとって重要だったのは、300年前の史実ではなく、「眼の前に天下人を倒した人の子孫がいると信じること」であったと思います。ただ、人を信じると、裏切られた時の反動が大きい。

 

※『土佐諸家系図』「明智系図」
https://clioimg.hi.u-tokyo.ac.jp/viewer/view/idata/200/2075/836/19/0000?m=all&n=20
 

※「日本姓氏語源辞典」

「明智」姓の人は全国に約1200人(7357位)

1位 愛媛県(約200人)
2位 大阪府(約200人)
3位 福島県(約120人)
4位 千葉県(約110人)
5位 神奈川県(約80人)
6位 東京都(約60人)
7位 高知県(約50人)
7位 茨城県(約50人)
9位 山口県(約50人)
10位 広島県(約40人)

土佐国(高知県)は7位で、美濃国(岐阜県)はランク外!

 

 

さて、近江屋で殺されたのは、

坂本龍馬、中岡慎太郎、山田藤吉の3人

で、殺したのは、

京都見廻組の7人

でOK?

 

※襲撃したのは、京都見廻組の佐々木只三郎(精武流の達人)とその部下6人(今井信郎・渡辺吉太郎・高橋安次郎・桂早之助・土肥仲蔵・桜井大三郎)の7人で、手代木勝任が「殺したのは佐々木只三郎」だと証言しているけど、「佐々木只三郎隊」であって、坂本龍馬を殺したのは、桂早之助(隼之助)でOK?

・実行犯が京都見廻組でも、黒幕がいた可能性が残る。

・実行犯のほとんどが、「鳥羽・伏見の戦い」で戦死している。真の実行犯をかばうために、「死人に口なし」で、死んだ人を実行犯にしたてたとも。

・今井信郎は、「暗殺に非ず。幕府の命令により、職務を以て、捕縛に向かい、格闘したるなり」と証言している。坂本龍馬は、寺田屋で捕吏2人を射殺した犯人(今で言う「警官殺し」)なので、京都守護職会津藩が京都見廻組に逮捕させようとしたが、坂本龍馬らが抵抗して斬り合いとなり、斬ってしまった(正当防衛)というのが史実だという。

 

※坂本龍馬は11月15日に生まれ、11月15日に亡くなった。坂本龍馬ファンは11月15日に喜ぶのだろうか、悲しむのだろうか。

 

※坂本龍馬の死の演出は、「刀を抜いて、鏡の代わりに顔を映す」でしたが・・・私は医者ではないので、よく分かりませんが、「顔が綺麗すぎる」と思いました。あれだけ額が切れていれば、顔は血で真っ赤で、血がドクドクと流れ続けて目を開けられない状態なのでは?

 

 

 

 

 高田崇史『QED 龍馬暗殺』では、坂本龍馬を殺した黒幕はAで、その理由をBとしながらも、ラストで、坂本龍馬が明智光秀の子孫だってことも少しは関係していたかもしれないとしている。坂本龍馬は、「紀貫之の子孫」と自称していたが、Aが、「坂本龍馬は、明智光秀の子孫である」と思い込んでいた、信じていた可能性はある。明智光秀の居城・坂本城は近江国にあった。近江は明智光秀の本拠地であり、殺害現場が近江屋というのは偶然なのか? 近江屋襲撃は、戦国時代で言えば、坂本城攻めなのか?

 

 「坂本龍馬=明智光秀の子孫説」を学者は、坂本家が土佐藩に天保9年(1838年)に提出した『先祖書』に、明智光秀の子孫とも、紀氏の子孫とも書かれていないので、どちらも家伝(伝承、伝説)に過ぎず、史実ではないとしているが、坂本家の『先祖書(指出控)』には、さすがに「明智光秀の子孫」とは書いてないが、『先祖書』の提出後に「紀氏の子孫」と書いてある家伝書が発見されたと書き加えられている。

 学者が支持するこの『先祖書』に史実が書かれているかと言うと・・・『先祖書』には、「2代彦三郎は、元亀2年(1571年)生まれで、3代太郎左衛門は明暦2年(1656年)生まれ」とある。85歳の時の子とは(養子以外には)考えにくい。2代と3代の間に意図的に消された誰かがいそうである。初代が明智光秀で、消された2代目が明智光秀の子だとは断定できないが。

 

 坂本家の始祖は、「坂本家系図」では「坂本太郎五郎」である。坂本郷に移住して「坂本」と名乗った紀氏の子孫であるから、「坂本太郎五郎」の父親の苗字も、当然、「坂本」である。学者が支持する『先祖書』には、坂本家の始祖は「太郎五郎」とあり、学者は「苗字はなかった」としているが、そんなことはありえないので、「苗字が不明」とか、「(苗字が「明智」なので)苗字を書けない」とか、「(坂本家の『先祖書』であるので、いちいち「坂本」とは書かず)省略した」とか考えるのが自然であろう。

 坂本龍馬は、「紀貫之の子孫」と自称していたので、「自分が明智光秀の子孫だとは知らなかった」と思われがちであるが、実はよく知っていた。「龍馬」の由来には、「妊娠中の母親が胎内に龍と馬が飛び込んできた夢を見たから」「生まれる前の晩に母親が龍が天を飛ぶ瑞夢を見たから」「背中に馬の鬣のような濃い毛が生えていたから」など諸説あるが、一説に「明智左馬助秀満」の「左馬助」であり、姉・乙女は、事あるごとに、「左馬助を見習え」と龍馬を叱咤・激励していたという。「知らなかった」ではなく、「知っていたけど名乗れなかった」である。

 

 

さて、ビール「龍馬1865」の話。

「長崎にて商社を創業し、グラバー氏との取引を始める。その交友からビールを譲り受け、初めてビールを飲んだ年が1865年だと言われています。」

http://www.nipponbeer.jp/lineup/ryoma1865-can/

 

ついでに、日本酒「司牡丹・船中八策」の話。

※司牡丹・船中八策:瀬戸大橋が開通した昭和63年(1988年)に司牡丹が日本名門酒会オリジナル商品(日本名門酒会加盟店限定販売商品)として出した超辛口の純米酒。(土佐のカツオのたたきとの相性は抜群!)「明治維新150年」の今年は販売開始30年にあたり、9月26日には「船中八策30年記念大会 in 静岡」が開かれる。
http://www.tsukasabotan.co.jp/history_culture/ijin.html
 

 

原案:https://secret.ameba.jp/sengokumirai/amemberentry-12404387885.html

武将ジャパン「坂本龍馬のご先祖様は明智光秀の縁者ってマジ!? 家伝史料を読んでみりゃ……」

https://bushoojapan.com/jphistory/baku/2018/09/20/116152

 

※参考記事

「坂本龍馬33年の生涯をスッキリ解説!時代を駆け抜け暗殺されたカリスマの功績を知る」
https://bushoojapan.com/jphistory/baku/2018/06/11/113498

「近江屋事件で坂本龍馬が暗殺! 容疑者をまとめてみました」
https://bushoojapan.com/tomorrow/2014/11/15/34774
「坂本龍馬暗殺の謎は解けていた!「お~い竜馬」は当たりか?」
https://bushoojapan.com/scandal/2014/07/21/25817