新津を後にして、私は松山に行きました。

松山は、歴史のある街です。松山城下には大きな商店街があり、愛媛一の繁華街でした。

 

大街道商店街です。秋山兄弟や正岡子規などもこの大街道で遊んだりしていたことでしょう。

無論当時はこんなのではなかったはずですが。

 

そして、愛媛は豊かな土地だったんでしょう。土佐や阿波のように一国大名ではなく、複数の藩に分割された土地でした。

家康の大名配置は、豊かな土地は複数の大名に分割統治させ、大きな勢力が出ないようにすることが基本政策でした。

越後は上杉謙信のような者が出ないようにしたのと同様、愛媛も複数の藩による分割統治が行われました。

 

その愛媛の最大都市 松山で新しい生活が始まりました。

 

取材に出て、テレビでニュースを読んでという仕事でした。

アナウンサーが初めて出演するのを「初鳴き」といいますが、私の愛媛朝日テレビでの初鳴きは、日曜日でした。土日は夕方と夜のローカルニュースしかなく、比較的ゆったりと時間が過ぎます。そうはいっても、緊張していました。初めてのニュースのリハーサルで緊張からか早口になってしまい、時間を大幅に余らせるという失敗をして、周囲を慌てさせたもののなんとか本番は無難に終わりました。

 

また、愛媛でもたまに雪が降ります。松山から南の四国山地に向かう途中に三坂峠という場所がありますが、愛媛で雪が降るとこの峠に行ってカメラを回します。結構積もるんですね。積雪が観測されると、三坂峠はチェーン規制がされます。その三坂峠への運転手役を命じられたりと、いろいろ経験しました。

 

ひどい時はこんなになります。

 

しかし、入ってからいろいろ経験するということはかなりのドタバタでした。そんな中で、夕方のニュースの中でスポーツコーナーを担当することになりました。

 

このコーナーは県内のスポーツに関する話題を特集するコーナーでした。毎週4~5分程度の特集をつくるのですが、結構大変でした。もちろん、いろんな方に出会えるので楽しい面もありましたが。この企画を通じて、愛媛出身のプロ野球選手や地元サッカーチームの愛媛FCの選手に取材出来たりというのも刺激的でした。

 

どうにかこうにか松山での生活がスタートしていったのです。

 

次回は仕事のことについてなど、もっと深く書いていきたいと思います。

松山藩松平家の居城 松山城です。

道後温泉と並んで松山のシンボルです。