エフエム新津では、結構楽しく働いていました。

まあ、それなりの悩みもあったのですが、総じて楽しく働けていたと思います。

 

でも、そんな私にも野望がむくむくと湧いてきました。

――もっと大きなところで経験をしたい――

 

実際のところ、野球やスポーツの実況がしたかったという想いがありました。

それが現況では難しいと感じてはいました。

けれども、本当に新津でやりたければ、エフエム新津でも頑張って実現できたはずです。

それを選択しなかったのは、やはり私にもっと大きな放送局で働きたいという野望があったからです。それは否定しません。

 

そして、エフエム新津で働きながら転職先を探すということになりました。

あなたが転職を経験されているならば、わかるかも知れません。

ひょっとして転職を経験されていないならば、理解してもらえないかも知れません。

結構、この話をするのは自分にとって痛い部分もあります。

けれども、私がなぜ「戦(いくさ)」をするに至ったのかをあなたに理解してもらう、または興味をもってもらうために半生を書くことを決めたので、乗り越えるべく続きを書きます。

 

楽しい職場で働きながら、裏では転職を画策する。

身も蓋もない書き方をするならば謀反人です。

しかし、決意したからには謀反は着々と実行しなければなりません。途中で発覚したら、現在の職場の雰囲気も壊してしまうということで必死に隠し通しました。

そうした中で、いくつかの放送局の試験を受けたりしていたのです。

 

一方、新津に来て3年目を迎えていました。

複数の番組でディレクターを担当したり、自身も出演したりと充実していたと思います。

 

ただそうした日々もどこかに疚しさを感じていました。

 

そのような中で、ある放送局の求人が目に留まりました。

四国・愛媛の放送局です。

 

次回は新章として、転職活動について書いていきます。

 

明智光秀の画像

謀反までの過程では、相当な葛藤もあったのではないかと思っています。