乾徳山恵林寺の三門

甲斐武田征伐を果たした織田信長は戦後処理を長男・信忠に任せます。天正10年4月3日、信忠は、関長安、津田元嘉、長谷川丹後、赤座永兼を奉行として恵林寺に向かわせ、かつて織田信長の上洛を阻んだ六角次郎の身柄の引渡しを要求します。しかし、快川紹喜国師は拒否します。信忠は恵林寺を取り囲み、三門の二階に寺内の150人の僧侶を押し込み、刈り取った草を積み上げ火を放ちました。多
くの僧侶がもがき苦しむ中、快川国師だけがじっと座ったまま焼け死んだといいます。

安禅不必須山水
滅却心頭火自涼

(安禅は山水を用いず、心頭滅却すれば火自ずと涼し)

                  恵林寺の三門です。



           亡くなった僧侶の遺骨塔です。

武田信玄の宝篋印塔と五輪塔が見えます。