安房里見氏、3代目当主の里見義通は永正5年、鶴谷八幡宮を大旦那として修復しました。この神社は安房国の総社で、元々国府のあった府中(南房総市三芳地区)にありましたが、鎌倉の鶴岡八幡宮を意識して、海に面した安房国北条郷(館山市)に移したのです。総社を大旦那として修復する事で、安房国の支配者である事を知らしめる事になります。里見義通は鶴谷八幡宮の修理を古河公方・政氏の副帥として行っており、里見氏は古河公方の代官である事を自称したのです。また、鶴谷八幡宮の別当である那古寺には里見氏から21世住職、23世住職が送り込まれ、政治・信仰の面で里見氏は安房国を支配しようとしたのです。古河公方家が鶴岡八幡宮の別当としての雪下殿として近親者を送り込んだのと同じです。