昨夜、録画してあった歴史ヒストリアを見ました。


大谷吉継。




お茶会の逸話は結構有名ですね。



諸大名が茶碗を回し飲みする。大谷に回った時に、不覚にも顔から

膿が落ちた?こぼれた?





その後は誰も茶を飲む振りをして、実際は飲まなかったが


三成はそれを全て飲み干した。


この逸話で、大谷の三成に対しての信頼、友情が確定的になった。


関ヶ原でも負けると判っていながら、の為に三成に味方した。



まぁ私はこのとかとかは、なんて言うか好きな話では有りません。







で、録画を見ると初めて聞いた逸話で放送されてました。



大谷に茶が回る、その直後までは同じなのですが、大谷が飲み終えた後


秀吉が気を回して



「吉継、その茶は失敗だ。立て直すので渡せ」


そう言ったらしいです。そして残りの茶を秀吉が全て飲み干して


他の大名からも、その家臣に対しての気の回しようが称えられたと言う


ような逸話が有ったんですね。初めて知りました。



でもこれが事実なら大谷は秀吉にぞっこんでしょうねw






まぁ逸話の話は置いておいて。関ヶ原での大谷。




負けると判ってて、義の為に三成に味方したのか?




ありえへん・・・・・・




間違いなく大谷は勝つ気満々とまでも行かずとも、いや勝たなくてもいい。



長引かせて時期を見て和睦。



その時に大阪方と呼ばれる陣営が少しでも有利にし、家康の権力を

少しでも抑える事が出来ればと言う感じでしょうか。



負けなければいいと言う気持ちだったんじゃないでしょうかね。



でも脇は甘いですね。



金吾を松尾山に入れる時に一悶着あってもいいのじゃないかな?



あればそれで脇坂の同行も見えたでしょうし。



本戦でも東軍とは対峙せずに、完全に金吾に向かって陣を張っている。


ここまでするのなら、入れる前に叩いておけよ。と思うのですが。






金吾は元々東軍であり、西軍へ寝返った刑部を成敗した。


金吾は元々東軍でしたから、寝返った大谷を成敗するのは当たり前


そう言う考えも出来るのですけどね。




でも、のう視力も殆ど無く、自ら歩く事も出来ない様な状態で


最後の豊臣家への忠義、奉公と言う気持ちで家康に向かった姿勢は


素晴らしいですね。



大谷がもしも健康であったなら、三成と並び、奉行に列し


三成とともに、戦などせずとも家康を牽制出来た可能性はありますね。




豊臣政権にとって先に死んだ痛い人材は多数人いますが


大谷が健康で有ったなら・・・・・



私は良くそう思います。


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佐吉の独り言
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