凝りもせずにまた妄想を書きます。


徳川球団、通称徳川ドロンズ

しかし、正式な名称は別の名前がある。

元々は、三河の名も無いような草野球チームであった。


当時はマツダイラと呼ばれていたのである。



駿府より強豪「今川ケマリーズ」が京都へ遠征に行く際に

尾張のの社会人チーム「織田トヨナガーズ」と練習試合を

桶狭間で行った。トヨナガーズの奇襲攻撃でケマリーズ

まさかの敗戦をしたのである。

ケマリーズから大金星を挙げたトヨナガーズはその後破竹の勢いで

連戦連勝とし、チーム力を増大させていった。


その頃である。マツダイラはトヨナガーズからの支援を受けて

徳川パシリーズと言う球団名称を名乗ったのである。



正式名称は徳川パシリーズである。

パシリーズの設立当初は非常に弱かった。


信濃の武田ジョッキーズとの試合ではジョッキーズの猛攻の前に

震え上がり、家康は試合放棄をして脱糞しながら逃げ帰ると言うような

失態まで演じてしまった。


その後、トヨナガーズの力を借りて、ジョッキーズに勝利すると

姑息にもジョッキーズの支配地域を盗み取ったのである。


この頃からドロンズと呼ばれるようになった。



ドロンズと呼ばれながらも、まったく気にせずパシリーズとして

名に恥じないような動きを見せ、トヨナガーズから信頼を得た。


トヨナガーズの監督が京都の本能寺で練習中に死亡した後は

豊臣傘下に入り、パシリーズの精神の元、尾張三河より、関東へ

フランチャイズを変更した。

この関東の地域は、親しい関係であった北条のフランチャイズである。


後に全日本野球連盟会長の豊臣秀吉の死亡により、姑息にも

野球連盟内部で工作活動を行い、加賀のドックスを戦闘不能にし

ビシャモンテンズに試合を申し込んだのである。



この頃はしたい放題であり、自らの資金は使わず、大坂にある野球連盟の

金庫より遠征費用を出させるなど、セコイ、人のふんどしで相撲をとると言う

行動を堂々と行っていたのである。


この頃はドロンズと呼ばれることを誇りに思っていたようで、図々しくも

他球団の資金で遠征を行い、また選抜チームを編成しても其々の

球団より遠征費用は出させると言う有様である。


関が原の全国大会で優勝した後は、江戸で江戸ドーム球城を他人の金で建て直し

朝廷より、日本野球連盟とは別組織を作ることを許されて、江戸に本部を置き

日本野球連盟参加の球団を強制的に移行させ、全国大会優勝まで散々

世話になった豊臣を豊臣タイガーズと名づけ、ただの地方球団としたのである。


また自らは、パシリーズ、ドロンズなどの名称を闇に葬り去り


徳川アオイジャイアンツを名乗ったのである。



伝統の一戦。


江戸アオイジャイアンツVS大坂タイガーズ


伝統の一戦にもかかわらず、自らの資金を使いたくない家康は

タイガーズ討伐の為に選抜チームを編成し、その費用は各自に持たせた。

持たせることにより、忠誠度を計ったといわれる。


流石にパシリーズとして長期間、下済み経験があるとでも言えるだろう。


忠誠度を図るため、全国の自らの息のかかった球城の新設も

他人にやらせまくった。自らの金は使わずに。パシリーズ、ドロンズの

精神の元に。


1616年。タイガーズとの伝統の一戦の一年後に、

てんぷらを食べて死亡したらしい。



終了。



ちなみに上は津川家康の場合。北大路家康なら少し違います。

で、東軍ファンの方は面白くないでしょうが、私は西軍ファンなので

無茶苦茶かいてますが、所詮妄想ですのであしからずw





「応援」ポチっと押してくださいね

にほんブログ村 歴史ブログへ にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ

戦国倶楽部
http://sengokuclub.com/   
佐吉の独り言