関ヶ原で家康がこう言う状態になるとどうなっていたでしょう?

家康の好きな方には面白くない展開だと思いますが
史実では負けてますので妄想で完全勝利を目指しますw


14日深夜岡山東軍本陣

敵方大垣城を離れ関ヶ原へ移動の報が入り、見方大名へ
出馬の下知を下し、自らも出馬。

省略


15日関ヶ原

合戦は始まったが状況が良く見えない。
また真後ろの毛利の動向も気になる。
家康は桃配山より合戦の最中に陣を関ヶ原へ進めた。

陣を動かし、最前線にて采配を取ろうとしたのである。
その直後に恐ろしい伝令が入った。

伝令「芳春院様が江戸にてご自害!」
家康「な・なんと!して中納言殿には知られて無いだろうな?」
伝令「ご自害の前に数騎の早馬が江戸を出たと」
家康「悶絶」

続けさまに新たな伝令が入ってきた。

伝令「大聖寺を攻めていた前田勢が丹羽殿と和睦の上に南下して
   美濃へ向かっているとの事」
家康「・・・・・・・あわゎゎ」
家康「中納言殿は見方か?????」忠勝に聞く。

忠勝は静かに首を左右に振る。
忠勝は心の中で「阿保か?そんな事は火を見るより明らかだろう」


家康脱糞



前日の14日大津

元康が秀包を呼び内密な話をした。
「仮病と偽りながら、動きもせなんだ金吾が関ヶ原に出向いたようだ
 秀包よ。大津は大砲でわしが抑えておく。お主は手勢5000と
 立花殿の全軍を引き連れて関ヶ原へ行き松尾山に入ってくれ」

毛利秀包は金吾が小早川に来る前は小早川の跡取りだった。
毛利両川として、いや一門として西方の総大将である輝元に対し
家康に与し、弓を引こうとしている金吾は許せない。

また、旧知の家臣武将も小早川には多数いる。
あほのせいで大切な小早川の兵をつぶすわけにはいかない。

秀包の胸中には金吾に対する憎悪と小早川を守らねばと言う
気持ちが錯誤していた。

元康の指示により、秀包と義兄弟の立花は関ヶ原へ向かった。
総勢10000。


大津攻め敵方の関ヶ原への進軍を家康はまだ知らない。




15日関ヶ原家康本陣

前田勢が関ヶ原へ向かっているとの報を聞いた直後
家康は松尾山へ鉄砲を撃ちかけ、出馬の催促をする。

家康は取りあえず金吾を戦場へ引き出し、どさくさに紛れて
落ち延びようと考えていたのだ。


松尾山&中山道

金吾「内府殿がお怒りじゃ!!!我らの敵は大谷刑部なり」

松尾山より小早川勢が関ヶ原と反対方向に下山し中仙道を押さえている
大谷の陣を目指し襲い掛かかろうとした。

そこへ「一文字三ツ星」の旗印を振り回しながら、毛利秀包、立花宗茂が
割って入ってきた。

小早川はひとたまりも無く、一先ず松尾山へ逃げる。

しかし小早川の兵の大半はあほの殿様の裏切りの指図に対して快くは
思っていなかったのである。

そして割り込んできた毛利が秀包で有ると知った旧知の者たちは、
我先にと小早川の松尾山を離れ、秀包の元へ参じた。

何も言わずと共に、小早川を吸収し、大谷含めて3万近い軍勢で
秀包、宗茂はそのまま関ヶ原へ進軍。

宗茂「流石は義兄弟じゃな。やはり小早川の当主はお主しかおらぬ」
秀包はうっすらと笑みを浮かべながら、「さっさと狸を叩くか。」
そう言いながら全軍を関ヶ原へ進軍させた。

家康は金吾が大谷と戦っていると未だに思っている。



省略



関ヶ原天満山付近

毛利連合部隊は関ヶ原へ入る前に全軍の鉄砲隊を先頭にし、関ヶ原へ
入ったと同時に、宇喜多と戦う福島を横から福島の軍勢以上の鉄砲の
つるべ打ちにて一斉射撃を浴びせた。

また立花隊は独自の射撃術を持ち合わせており他の部隊の三倍以上の
速さで撃ちまくった。

福島隊は逃げる間もなく瞬時に壊滅。

また福島正則も一斉射撃により即死した。

福島の顔面は火縄銃で100発以上討ちこまれており、後の首実験では
本人であると言う確証は出来なかったと言われている。

家康は福島隊の瞬間壊滅を目の前で見た形となる。


家康またしても脱糞



南宮山最上段観覧席

南宮山でゆっくりと昼ごはんを食べながら遠眼鏡で戦況を
観戦していた秀元は突然ご飯を口から吹き出した。

「お・・お・・叔父・・・・・」

南宮山から見て関ヶ原の左方向で毛利の旗が振り回され
毛利の兵が縦横無尽に戦っているのである!

何時までもご飯を食べている場合ではない!!!


秀元は口元に米粒を付けながら慌てて出馬の下知を下した。

南宮山下では、吉川が陣を張り、秀元の出馬を阻んでいた。

秀元「どかぬか!!!」
吉川「毛利の先鋒は吉川家ときまっておりまする」
秀元「あほか!!!」
   「叔父貴が既に毛利の旗を振りまわして戦っておるわ!」

吉川はまだ秀包が関ヶ原へ乱入している事を知らなかった。


もたもたしている吉川隊の後方から火縄銃が撃ち込まれた。


安国寺「のけ。狸の買い犬め。全ては輝元様に申し伝えるからの」

安国寺に続き長束隊も前進して来た。三方より睨まれた吉川は
静かに道をあけるしか無かった。


笹尾山後方の北国街道


毛利より少しタイミングが送れて、梅鉢の旗印をなびかせて前田北国勢が
笹尾山の横に現れた。

利長が小声で言う「皆の者!今こそ母上の仇を討つのじゃ!」

大声で言うと家康に聞こえると怖いからと言う逸話が後世では
言い伝えられている。



梅鉢の旗印をを見た家康さらに脱糞


正午付近の関ヶ原の戦況分析
西軍
天満山付近、宇喜多15000、毛利15000(吸収分含)、立花5000
大谷一門5000 小西、壊滅寸前だったので300

笹尾山付近 石田5000 豊臣2000 前田北国勢25000 島津1500
南宮山、毛利15000、安国寺2000、長束1500 長曾我部未だ知らず。

西軍 約90000人

東軍 
笹尾山付近 黒田、細川、加藤、田中など30000(戦意は著しく低下中)
天満山付近 福島残党25 

敗走 京極、藤堂毛利を見た瞬間に高虎は真っ先に伊勢方面へ
逃げて行った。壊滅福島隊

松尾山 金吾5000 裏切り4人6000(最後まで傍観
家康本陣 30000(うそくさい数含む)
南宮山 浅野6000 池田5000 吉川3000(傍観)
山内3000西軍への寝返り検討中

東軍 約90000人(傍観、家康の?兵数含む)


家康は数度の脱糞をする事になりましたが、まだまだ数の上では
互角に近く、虎の子の秀忠の部隊もはるか後方で見えませんが
おります。見る事が出来ない可能性がかなり濃厚ですが

この状況は、高台に陣を張る西軍は圧倒的に有利で
数の上でも西軍が完全に有利となります。
笹尾山には大砲が数門あり、前田加入で更に士気は向上。
黒田、細川は逃げる準備をしています。

天満山からは福島を壊滅させたやる気満々部隊が家康本陣を
目指して移動中。



まさに家康絶体絶命

家康はどうするでしょうか?

伊勢街道は敗走する東軍でごった返し、追いかける西軍が
東軍を虐殺して修羅場となってますので伊勢街道へは逃げ
れません。

戦って勝てるか?この場合の家康はどうなるでしょうね?

ここから先の妄想は色々と暇な時にでも妄想して下さいね。

家康の大逆転でも逃げ延びて江戸の陣でも即死でもw

私のこの先の妄想は伏せておきますw


長々と読んで下さいまして妄想にお付き合い頂きまして
ありがとうございました。

でも、この役は北大路家康にはしてほしくないなぁ。
津川家康なら絶対にしてほしい役だ!!!




宜しければ「応援」ポチっをお願いいたします。

にほんブログ村 歴史ブログへ にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ
戦国倶楽部
http://sengokuclub.com/   
佐吉の独り言