松尾山とは言わずとしてた小早川秀秋の関ヶ原合戦時に
布陣した場所である。ここから関ヶ原を遠眼鏡で見ながら
両軍の戦闘を傍観していたらしい。

話に寄れば、家康が中々裏切らずに戦闘を開始しない
秀秋に業を煮やし、松尾山へ向けて大筒を放ち、家康
の怒りを悟った秀秋が慌てて西軍の裏切りを決め、
大谷陣へ攻めかかったと言うがこれはありえないと思う。

関ヶ原の家康の陣から当時の一番射程距離の長い鉄砲や
大筒で松尾山へめがけて放ったとしても届くわけが無い
だろう。火縄銃の射程距離が100Mとかで、また殺傷
能力としては50M程度の距離で無いと致命傷を与える
事も出来なかったのだから届くわけ無いだろうと思う。
これは是非とも今度の松尾山の山頂から検証して見たい。

とは言え秀秋の裏切りで西軍の敗北が決定した事は火を
見るより明らかだ。実際に小早川が裏切らなかったとし
ても、傍観していれば西軍は負けていたであろうが、
たった一日で関ヶ原合戦は終了しなかったであろう。