秀忠軍は出来る事なら上田で戦をせずに通過をして
美濃を目指し、家康と合流したいと考えていたらしく
9/3に真田信幸と本多忠政を和睦工作の為に派遣した。
真田昌幸は両名と上田城外の信濃国分寺にて会見した。
そして二人を饗応の上「我が方はどちらに見方をする
と決めたわけでもなく、会津征伐は言われも無い事故に
上田に引きこもっているだけだ、従い秀忠と一戦交える
気持ちも無く、明日にも城を明け渡したい」と答えた。
両人は喜んで秀忠にこの旨を伝え、秀忠もまた、昌幸を
赦免する事を決め、使者を出し昌幸に伝えた。

※この時の昌幸は凄い策士だなぁと感じますね。
秀忠の大軍を目の前にして、まともに戦えば敗戦する事は
火を見るより明らかだと思うのですが、本当の狙いは何処
に有ったのでしょう?ここで秀忠を足止めさせて結果的に
秀忠を関ヶ原へ遅参させた事は結果オーライと言うことに
成るのでしょうけど、この後昌幸の策士の本領が発揮され
ていく事になります。