丹羽長秀 | 戦国武将's PROFILE

戦国武将's PROFILE

中1女子が、自分なりの視点で戦国武将たちを紹介していきます☆
歴女と呼ぶには程遠いものですが、
素通りせず、ペタorコメしてってくださいな!
ピグもやっているんで、そっちもよろしく

第1部4回目の今回は、信長が唯一「友」と呼んだ、

丹羽長秀について紹介します!

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 名前   丹羽長秀 (幼名 万千代)

 別名   五郎左衛門尉・鬼五郎左・米五郎左

生年月日 1535年10月16日 (尾張春日井郡児玉)

没年月日 1585年5月15日 (病没。享年51歳)

 性格   信長の「長」の字をもらっているほど信頼されている。
       器用で何でもそつなくこなす。
       猛将であり、知将である。
       謹厳実直な人格者。
       部下からの信頼は厚い。

 特技   なんでもそつなくこなす。   出身 尾張春日井郡児玉
 
 趣味   ?                 

 地位 織田信長の小姓⇒出世⇒加賀二郡約123万石の大大名


 略歴   1535年  1歳 誕生
       1550年 16歳 信長に出仕する
       1555年 21歳 清洲城攻略戦で活躍。
       1560年 26歳 桶狭間の合戦に従軍。
       1571年 37歳 佐和山城入城。
       1573年 39歳 軍船造船奉行に任命される。
                  若狭国を任される。
       1576年 42歳 安土城普請奉行に任命される。
       1581年 47歳 馬揃えに参加
       1583年 49歳 越前国と加賀国内能美郡・江沼郡を加増され、越前国北ノ庄城に入城。
                  123万石の大大名に。
       1585年 51歳 胃癌により病没。


 系譜   父=丹羽長政   母=?
       兄弟=長忠・秀重
       子=長重(嫡子)・長昌・藤堂高吉・蜂屋直政・長俊・長次 など
       正室=織田信長の養女   


自らの功績を信長・秀吉に認められ、一時は利家をもしのぐ123万石の大大名になります。
しかし、それに比べ嫡男はどうだったのだろうか。
柴田勝家という上司を裏切り、秀吉という自分よりも身分の低い男に仕えてまで残した
「丹羽」という家は、長秀の死後、嫡男長重の失態によりたったの4万石に減らされてしまいます。
それでは、長秀は何のために勝家を裏切ったのか。
そして、長秀の死を理由に100万石以上も減らした秀吉とは、いったいどういう男なのか。
信長に友とまで呼ばれた長秀は、得たもの以上に失ったものの方が多かったのではないだろうか。