『黒田節』は福島正則の酒席における失敗談 | 戦国チラシ起業セミナー※現在配信停止中です。復活をお待ちください!

『黒田節』は福島正則の酒席における失敗談

梅雨に入りハッキリしない天気が続きますが、これが明ければ真夏がやって来ますね。

以前のブログにも書きましたが、寒い冬は暖かいおでんが食べたくなり、暑い夏には冷たいビールが飲みたくなります。

『季節を感じて、食べたくなる』

の代名詞が私にとってはおでんとビールです。

仕事関係のお付き合いでも、プライベートの仲間とでも、冷たいビールをこの季節にキューっとあおれば、全ての関係が旨く行く気がしてしまいます。

ですが・・

酒の席では気が大きくなり、つまらぬ約束を口にしてしまい後で後悔するなんてこともありますよね。

今回は戦国時代の武将で酒豪と呼ばれた福島正則が起こした数ある失敗談の中から、唄にまでなって後世に伝えられた黒田節のお話です。

『さぁ~けぇは~飲めぇ飲め。飲むな~らぁ~ばぁ~』

で有名な黒田節ですが、この歌詞は福島正則と盟友の黒田長政の家臣だった母里太兵衛の間に起きた酒席のことを唄ったものです。

それは秀吉による朝鮮出兵が一旦休戦となり、京都の伏見城に福島正則が滞在中のことです。

酒豪の正則は朝一番から家臣達と酒を飲んでいました。

するとそこへ黒田長政からの使いとして母里太兵衛がやって来たのです。

この太兵衛は豪傑で酒豪の猛将として名をはせる人物でした。

正則はこの太兵衛に自分と同じ匂いを感じており、正則に拝謁するなり用件を後回しにして一献差し向けました。

けれども太兵衛はその誘いを断ったのでした。

というのも、太兵衛はここへ使いに来る際に主君長政より

『正則殿の前へ出た際には杯を差し出されるだろうが、絶対にそれを口にしてはならんぞ』

ときつく釘を刺されてきていたのです。

長政は酒豪同士の対面となることから酒によるトラブルを事前に考慮していたのです。

けれども、そんなことは知らない正則はさらに強く酒を勧めます。

それでも『飲むな』という主命を受けて来ていた太兵衛が断ると、正則は

『飲めと言ったら飲め!もし、その大杯の酒を一気に飲み干せば褒美に、そちの望むものであれば何なりと取らせようぞ!』

と言って大杯に、並々と酒を注いで差し出します。

『何と言われようと某は飲み申さぬ』

その太兵衛の答えに正則は、声を荒げて

『酒豪と名の通る母里太兵衛でさえ一杯の酒に臆するようでは、黒田家は腰抜け侍ばかりのようじゃ』

太兵衛ばかりで無く黒田家をも蔑む発言をしたのでした。

ついに太兵衛は決心します。

主家をそこまで辱められては武士の面目が立たちませぬ。この上は、喜んで頂戴つかまろう』

そう答えると、大杯に並々と注がれた酒を一気に飲み干しました。

その姿に部屋にいた者達は大喝采を上げます。


太兵衛の見事な飲みっぷりに正則は気を良くして

『いやぁ~貴殿の見事な飲みっぷりは、惚れ惚れするわ!ささっもう一杯』

と空になった大杯にまたも、並々酒を注いだのです。

もはや、今の一杯で酔いのまわった太兵衛は、二杯目の大杯も一気に飲み干しました。すると、さらに酔いのまわった太兵衛は、おもむろに立ち上がり、部屋の壁に掲げてあった名槍・日本号を手に取るや

『この槍をば、先程の正則殿の口より発せられた望みの褒美として貰い受け申す』

といって部屋を出ようとしたのです。

これにはさすがの正則も慌てました。

それというのも、この日本号という槍は、正親町天皇から足利義明へ、そして信長、秀吉の手を経たのちに正則の所有となった正則自慢の天下の名槍だったからです。

『そそ・・それは・・』

正則が断りの言葉を発しかけたのをさえぎって

『まさか?福島正則ともあろうお人であれば、武士に二言などござらんでしょうな』

と答えた太兵衛は、名槍日本号をかつぎ、黒田藩歌の筑前今様(これが黒田節の音階)を口にしながら部屋を出て行ったのでした。

こうして現在、唄われている黒田節はこの模様が詩となって今も皆の口にされている訳です。

ちなみにその後の正則は酔いがさめた後に気が大きくなり、とんでもない約束を口にしたと後悔しきりだったとの事です。

今回は、酒の席における約束ごとは口にしないように注意が必要だと感じるお話でした。




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