この話の中の野球は韓国のプロ野球のことを指していますが、
もちろんのことプロ野球は日本にもあるし、思考の流れとしては国の事情と関係なく同じものなので、そのまま載せることにしました。
細かい事実は流して(もしくは隣の国はそうなんだ、くらいの感じで)、内容の流れに注目して読んでもらえるといいと思います。
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幼い頃大好きでたまらなかった野球を、また見ることにした。
もちろん、これまでも好きではあったが、シーズンの結果の確認ぐらいしかやってないから、野球ファンだったとは言えない。
幼い時の私は、
私が好きなチームはもちろん、ライバルチーム、その他のチームの主要選手のその日その日の試合結果を全部頭に入れて覚えるほど野球が好きだった。
まず毎朝、新聞のスポーツ欄を読んで、
一日中野球のことを考えながら6時半を待って
6時半になったら、ラジオをチャンネルを回して中継をしているところを探しておく。
(ずっと聞いているわけにもいかないから)時々点数を確認する。
5回裏以降に伝えられる他の球場のニュースも大事だった。
他のチームの得点状況も大事で、主要選手の活躍ぶりも大事だった。
私が好きな選手が個人タイトルで引き続き順位を維持するか、または上げなければならなかったからだ。
週末には中継をいつ、どこでするのか予め把握して中継を待つ。
ソウルで試合がある日には中継をする可能性が高くなるため、期待も高まった。
そしてソウルでも仁川でも、週末になると野球を見に行った。
偶然(嬉しすぎることに!)私が好きなチームのホーム球場があるところへ引っ越すことになった中学校の時からは初めから月に2~3回ずつ野球場に行った。
二回ぐらいは大したことないと思えるかもしれないけど、日曜日はひと月に四回しかないから忙しいお父さんのスケジュールに合わせて行こうとするとそんなに少なくもない
(ひとりでは行かせてくれなかった。。。平日はなおさら、終わる時間が遅いから)
またも運がいいことに、家から球場の明かりが見えた。
9時半まで試合が終わらず中継が途中で終わった日は、何分ごとに球場の光が消えたかを確認した。リードしていた日には早く終わり、リードされていた日は遅くまでやっていなきゃいけなかった。(もちろん点差がもっと離れていっている場合もあるけど、それはあえて・極力想像しない)
そしてその後は、時半過ぎのスポーツニュースを待つ。
チャンネルを変えながらハイライトを見る。
選手たちの活躍ぶりを見るには、2度の機会は足りなすぎる。
でも見直したくても見ることができないから、中継を丸ごと録画して見直したりした。
そんな私が、様々な理由でしばらくプロ野球を見れなかった。
今年こと、また見るんだ!と、気合を入れて今シーズンを迎えた。
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そんな私にとって一番衝撃的なことは
私が好きだった選手たちがコーチになったり、監督になったり、解説者になったり。。。 ではなく、
あまりにも簡単になったプロ野球の楽しみ方だった。
NAVERで全試合の中継をしてくれることは知っていたけど
あらゆるスポーツチャンネルができて、全試合をテレビで中継をしていて、
忙しくて中継見れなかったときはネットに乗っている全試合のハイライト映像を見ればいいし
名場面の中の名場面ならYouTubeにもアップされている
野球協会のホームページには全試合の結果と中継予定が整理されていて
NAVERではチームと選手の全ての成績を教えてくれる
中継が毎日見られるということを知った時はただただ幸せだった
私が野球を見ていなかった間にどんなことがあったのかを把握するのも簡単すぎてよかったーと思った。
最初は単純にいろんな意味で、時代が変わってるなーと感じていたけど
だんだんよく分からない感情がわいてきた。.
何とも言えない? 寂しさ?みたいな違和感というか。。。
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情報がありふれているこの時代。
あまりにも多くの情報を簡単に手に入れることができるから
私たちが本気で欲しがっている情報を探すために努力したその時間のトキメキと努力が感じられなくなっていた
結局手に入る情報も前より今の方が断然多いのに
私の頭の中に強く根付くインパクトは、以前苦労して得た情報の方だった気がする
こんなに多くの情報の中で今野球を見始める人たちは、
一体何から見れば良いかかさえ、わかりづらいのではないのかな。。。
情報の洪水。よく耳にするこの言葉。
情報があふれて
なんでも簡単に手に入るという便利さを得た代わりに、
私たちはは切実さと努力を失ってしまっていて、
その分得られた情報は大切に記憶されずに
次から次へと押し寄せてくる情報の波に
あまりにも簡単に流されてしまうという
その一般的な話を、「プロ野球を楽しむ」という趣味の中でも確認できた。
私がプロ野球を見ていなかった時間を返してもらうのはできないけど、
その分もっともっと楽しむのが今シーズンのプロ野球に対する私の姿勢であり目標だったけど、
情報の波の中でも昔の私が感じていた気持ちよさと幸せを感じながら楽しむのが、
新しい目標となった。